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執筆者の写真Hidetoshi Shinohara

アイデンティティー

同窓会に出席してから、自分を見つめ直す機会が多くなった。

30年間、ただひたすら前を見て走ってきた。故郷を懐かしんでいるようじゃ、考えがぬるいと自分に言い聞かせてきた。でも、気がついたら人生の折り返し地点をとっくに過ぎていた。フルマラソンで例えるなら、給水を取らなければならない時期なのかもしれない。


2年前、札幌へ帰省した時、どうしても自分のルーツが気になり、車で石狩湾から北上して雄冬まで行った。もうちょっとで、留萌へ辿り着くところだったが、行く勇気がなかった。何を恐れていたのだろう。ちやほやされたかったのだろうか?自分が頑張ったことを認めてほしかったのだろうか?いや、まだ早いとでも思ったのだろうか? よく考えれば、どんな人だってみんな苦労をともにして歳を重ねてくる。自分だけではないのだ。みんなに会って、やっと分かった。誰も口には出さないけど、笑顔で笑い飛ばし、何事もなかったように、いにしえの記憶を手繰り合う。つらいことは、忘れよう!ただ、それだけでいいではないか? その時、雄冬で撮影した2枚の写真。ちょうど、季節は今頃だった。1枚目は、曇り空の寒々しい北国の日本海。何か空虚な感じがした。それが、どうしたとでも言いたげなふてぶてしい海。昔の自分を見ているようだ。 2枚目は、三脚に中判カメラを取り付け、しばらくアングルを探っていると、雲の隙間から光が差してきた写真。あまり、深刻に考えるなよ!とでも言いたげに。昔のみんなに会って、気がついたら馬鹿話をしている今の自分がいた。イタリア、ルネッサンス期の絵画のような御来光だった。 どんなに都会人ぶっても、北国の素朴な自分を打ち消すことはできない。歳はただ、呆然と取るものではなく、様々な困難を乗り越え、重ねていくものである。この陰と陽が、誰もが持っているアイデンティティーなのだ。僕は、何か大切なものを忘れていたような気がする。

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美しく、輝く、輪を求めて。

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