<< 2015年8月             1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31          

リリアン バスマンの写真展

Photograph

先月、銀座シャネル・ネクサス・ホールでリリアン・バスマンの写真展へ行ったきた。バスマンは、1948年にファッション誌のハーパース・バザーの写真家としてスタートする。女性が女性のモデルを撮ることのメリットもインタビューで語っていた。ヌードを撮っても写真家が女性なので、モデルも羞恥心もなく安心してリラックスした状態で撮影ができるそうだ。


20140510_01.jpg


以前、広告の仕事をしていたとき、外人モデルを撮影しているフォトグラファーがモデルに怒鳴りつけていたことがある。僕は、モデルの表情を最大限に引き出すためにスタッフと一緒に誰よりもスタジオ入りしたものだ。なぜかというと、現場の空気がリラックスしたものでないとモデルの表情やポーズが硬くなってしまうからだ。


僕たち現場スタッフは、みんなでモデルを見ているけれど、モデルから見えているのは、怒鳴り散らしているフォトグラファー、そのアシスタント、アートディレクター(これは僕)、僕のアシスタント、スタイリスト、スタイリストのアシスタント、ヘアメイク、スタジオマン数名、そして、腕を組んで眉間にシワを寄せ難しい顔をしているクライアント数名が見えているはずだ。こちらが、みんな笑顔でいればモデルだって自然と笑顔になる。と、いつもそう思っているのだが、現場の空気を壊す人がいる。生身の人間を撮るとはそういうことだと思うのだけれど。
バスマンの旦那さんもフォトグラファーで、若い頃は彼女のヌード写真を撮っていた。だからこそ、モデルの表情の引き出し方を知っているのかもしれない。


それにしてもどの作品も洗練されたモノクロームの美しさと、大胆なポーズと構図が絵画的だった。バスマンは、大好きな写真家の一人で写真集も持っていたので、今回、オリジナルプリントを見ることができたのは大変な収穫だった。当たり前だけど、やっぱり、写真集で見ているよりも現物は違う。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 23:42 | コメント (0)

モホリナギ 写真

Photograph

19世紀から20世紀をまたがって生きた、ユダヤ系ハンガリー人の作家、L・モホリ=ナギの絵画・写真・映画を読んだ。第一次世界大戦後、動乱のハンガリーからドイツに亡命し、ヴァルター・グロピウスと出会い、バウハウスの教授に招かれる。難しいことは抜きにして、モホリはグラフィックデザインの表現の基礎を作った人ではないだろうか?このブログの前回にも書いたけれど、「これは、写真じゃない」とか「これが写真だ」という方は、この原点を学んでほしい。日本語に訳された本には、写真という言葉が使われているが、本来はPhoto=光、Graph=図という概念にぴったりである。


20131129_01.jpg
この著書の中のひとつにカメラなしの写真、フォトグラムという手法がある。マン・レイは、同じ手法を使ってレイヨグラムと呼んでいた。カメラを使うことだけが写真ではない。ここでも、レンズがどうだとか、解像度がどうだのという話は一切出てことない。つまり、芸術においての写真とは、カメラという装置が主なのではなく、光を描くアートなのである。(ここに掲載した作品は、マン・レイのもの)


20131129_02.jpg
モホリナギの理論は、バウハウスを通じてマン・レイに引き継がれていく。ネットで検索すると、現代アートの写真作家でもフォトグラムを使用して、現代的に洗練されたアートを創作人もいる。でも、なぜそういう人達はもっと世に出てこないのか?もしかして、こんなのは写真じゃないという圧力をかけられているのだろうか?


20131129_03.jpg
先人達が切り開いてくれた手法を使って、現代の解釈でもっと面白いものができそうなのであるが、残念ながら日本の現状はカメラに依存した写真が多いような気がする。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 22:43

アートにおけるPhotographと写真

Photograph

お気に入りの写真作家の作品を本人の目の前で感激していると、必ず彼らが口にする言葉がある。「こんなの写真じゃない」と写真業界で言われるのだそうだ。それが、一人や二人じゃなく、何人もの人がぼやく。ここ2年位、「写真って、なんだろう?」と、ずっと考え続けていた。やっと、その答えが見つかったような気がする。


20130919_01.jpg
写真には、大きく分けて2つのタイプがある。ひとつは、真実を写すという写真。もうひとつは、絵画的要素の強いアートとしての写真。前者は、カメラメーカー大国日本が生んだ弊害でもあるような気がする。


カメラメーカーは、レンズの性能や描写性を売りにしたいがために写真家とタイアップして、いかに自社の製品の性能が良いかをアピールする。そこに、作為的な画像処理を施されるとどこまでが製品特性か曖昧になってしまうのである。東京には、メーカー系ギャラリーが点在し、自社のカメラを使用した作品を制作した写真作品を一般公募している。審査基準は、もちろん自社のカメラを使用したかどうか?極度の画像処理を施していないことなどが必須条件となる。


20130919_02.jpg
F1レースのように自社の自動車技術がいかに優れているかを世界へ知らしめるプロモーションであるのと同じく、カメラメーカーも自社のカメラの性能がいかに優れているかということが発揮できている作品の発表の場であるのではないだろうか?どんなに独自性がある作品であってもそのカメラの特性を生かしていなければ、選考基準から外されるのである。そして、一般の人々はそこまで深読みせず、その作品が良いモノとして受け入れてしまう。


それに較べて、海外の多くのアート系写真作家は、もっと自由である。カメラは、あくまでも道具であり、画材の一部とでも思っているのではないかというくらい、カメラメーカーが嫌がる手法を取り入れている。日本のようにカメラメーカーが多い国も世界中みてもどこにもない。だから、カメラ性能を生かす写真や、メーカーの顔色を伺った作品を作る必要などない。


もともとは、Photographとは、Photo=光、Graph=図画なのであって、光画なのである。ところが、幕末に日本へカメラが渡ってきたときに絵画としての写真というよりもそこにある真実を写すと解釈して、写真と翻訳されたらしい。多くのアート系写真作家の方々は、「こんなの写真じゃない」と言われたら、「ええ、写真じゃありません。光画です」と答えれば良いのだと思う。


ここに掲載している作品は、僕がカメラを使用してマーク・ロスコやイブ・クラインにインスパイアーされ創作したもので、屁理屈かもしれないけれどGraphicphotoだと言うようにしている。


次回は、アンドレアス・グルスキー展で観てきた写真とは何か?と、バウハウスのモホリ・ナギが書いた「絵画・写真・映画」を読んだ感想を述べたいと思います。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 21:20

Don't Look Back in Anger

Photograph

気分転換にヘアサロンへ行った。muguetという青山にあるヘアサロン。ここのオーナーの土橋さんとは、20年位の付き合いになるだろうか?多くを伝えなくても僕の好みを理解してくれる。いつも微妙に変化を付けてくれるところもいい。ロックの話とか、ギターの話をして久々にリラックスできる。そこで話題に出たのが、オアシスのリアム・ギャラガーが近くにショップをオープンしたいう。いつも「今日は、どんな感じにしますか?」と聞かれたら「UKで...」「リアムのように...」たまに「ジョンレノン...」というキーワードを伝えるだけ。顔の作りや頭のカタチが違うのにカットには苦労しているに違いない。


20130615_02.jpg


ショップのオープニングには本人が来日したというので、髪を切ったあと、さっそくリアム・ギャラガーのショップPRETTY GREENへ行ってきた。弟のリアムは、ボーカルもファッションもかっこいいんだけど、性格が悪い。兄のノエルにいつも喧嘩売っている。才能があれば、性格が悪くもいいのか?ノエルは、ちょっとミスタービーンに似ていないか?でも、人間性と曲作りでは、ノエルが好きかな?その中でも好きな曲が、Don't Look Back in Angerという曲。


20130615_01.jpg


Slip inside the eye of your mind 君の心の中に滑り込めれば
Don't you know you might find きっと見つけることができるのに
A better place to play いまよりも良い場所が
You said that you'd never been 君はいう「そんなものはなかった」
But all the things that you've seen 目にするものはすべて
Will slowly fade away 時が経てば消えていくだけ


20130615_03.jpg


目にするものはすべて、時が経てば消えていくだけ...
なんだか、祇園精舎の鐘の音。諸行無常の響きなり...みたい。


同じ状態でとどまることなんかないんだ。明日、どうなるかわからない。安定なんかない。この命がある限り、一歩一歩前進するのみ。そう肝に命じよう...



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 22:19

輝きを取り戻したい...

Photograph

年明け早々に浜松町貿易センターから、フォトコンテストの参加の打診があったので参加した。フォトグラファーでもないのに恐縮したけれど、資料を拝見するとアマチュア写真家ばかりだったので、承諾した。


20110529_01.jpg


震災の後、表彰式があり銅賞をいただいた。みなさん、ほとんどがアマチュアだったと思う。すごい、精力的に撮られているのを拝見してなんだか欲が出てきた。入選すればいい方だと思っていたのが、銅賞というのは微妙なところ。なんで、そこまでいって金賞じゃないんだ?


そんなメラメラと欲望が芽生えてくるということは、まだまだ枯れていない証拠である。それにしてもいい写真だと思うんだけどなあ?節電や派手なことの自粛ムードでこの写真をブログにアップするのを控えていたけど、電力の浪費というよりも世の中の輝きを取り戻したい。GLOWは、僕の今年のキーワード。ギャラリーヴィグロワのコンセプトにもなった。


審査員の先生には、僕の添付したメッセージに共感いただいた。以下そのメッセージです。


TOKYO GLOW

思えば、30年以上も前のこと、北の果てから飛行機に乗って上京してきた。羽田空港に降り立ったとき、正直、東京へ来たという実感がなかった。ボストンバックを膝に抱え、モノレールの車窓に釘付けになり、じわじわと「これが東京だ!」と実感が湧いてきた。浜松町の駅を降りたとき初めて都会の喧噪を体感した。多くの人が無秩序にあらゆる方向へ急いでいる。「そんなに急いでどこへ行くのだろう?」と思った。上を見上げると空が見えず、あたり一面灰色のコンクリートジャングル。18才の少年は、巨大な都市に飲み込まれそうそうになった。同年代の少年達は、みんな大人に見えた。心の余裕などあるはずがない。気負いばかりが空回りした。混沌とした時間ばかりが過ぎ去り、くじけそうになってうつむいてばかりいた。あれから33年の月日が経ち、少しは心の余裕ができたのだろうか?今、浜松町貿易センターの展望台に立ち、都内を見渡せば、こんなに美しい輝きを放っていた。夢と希望を与えてくれるエネルギッシュな都市。そんな東京が好きだ。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 21:43 | コメント (8)

12日が経った...

Photograph

年明けに、新しいプロジェクトを計画していた。大都会の都市のようにきらきらと輝くパワーをイメージして、TOKYO GLOWというタイトルで写真を撮った。なぜそんなテーマを選んだかというと、それは東京の活気あふれたパワーのように光り輝く輪という名のプロジェクト、VIGLOWAをイメージしていたから。


20110323_01.jpg


GLOWは、輝くという意味だけど、気分の高揚感もあらわす。何か感動的なものを見たり触れたりしたときに心の底から身震いするような高揚感だ。


20110323_02.jpg


震災から、東京では毎日余震が続いた。一週間以内に大地震が来る確率は70%だなんて報道するものだから、毎日地震が来る度に身構えた。未だ、明るい話題なんかない。毎日が暗い。おまけに節電で都内はどこも暗い。


20110323_03.jpg


でもよく考えたら、このくらいの灯りでもいいような気がする。駅のホームもコンビニの電飾看板もなくても全然不便ではない。ちょっと薄暗いバーにいると思えば、人々はだんだん慣れてくるだろう。今までが煌々と光り輝く都会に慣れすぎていたのだ。地方へ行くとこのくらいの灯りが日常だと思う。


やっと、みんなが気付いてこれからは内面から光り輝くことをしていったらどうかと思う。僕が目指しているVIGLOWAとは、VI(美)+GLOW(輝く)+WA(輪)、すなわち、「美しく輝く輪」という意味。


前向きに考えると何かが変わろうとしている時期なのかもしれない。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 22:17 | コメント (0)

上から目線

Photograph

高層ビルの上から、昨年のJR東海社長の発言を思い出した。「上海リニアはおもちゃ、我々のはiPad」などと、なぜそのような発言をするのかねえ〜。まさにこれは上から目線。


20110219_01.jpg


中国製品の質の悪さやコピー大国を批判するけど、程度の差はあれ、日本だって同じことしてきたじゃないか?日本こそ、コピー大国。勉強熱心な国民だから、いつのまにか工業製品大国になってしまったけど、それだってこんな上から目線で偉そうなことを言っていたら抜かれてしまうだろう。いかにも中国の発展が日本を凌駕しそうなことへの焦りとしか見えない。「我々のはiPad」なんて、日本の製品じゃないじゃないか?ましてや、あなたが作ったわけじゃないでしょう。中国を酷評しているつもりかもしれないけど、上海リニアはドイツ製。ドイツに喧嘩売ってどうするの?


アメリカのGMの最高責任者がトヨタのプリウスを「さえない車だ」と酷評し、「私は死んでもプリウスには乗りたくない」などと大国のリーディングカンパニーのトップが言う発言でしょうか?


このお二方、実に醜いね〜。アメリカの経済が衰退して、その後を日本が追う。こんな了見の狭さまでアメリカを追わなくもいいのに。中国はこれから発展しいくことでしょう。その経済力に日本だって恩恵を受けることになるかもしれない。現に、銀座の高級ブティックには中国人がいっぱい。もっと、経済大国の仲間入りした中国を歓迎すればいいのに。


JR東海の社長さん、中国のから来たお客さん達に「あなたたちの作っているのはおもちゃ」などと恥ずかしいこと言わないでしょうね。誰か、側近の方、注意してあげた方がいいですよ。こんな人は、きっと他人の成功を心から喜んであげることができないのでしょうね。日本人はいつから謙虚さを忘れてしまった?僕はこんな大人にはなりたくない。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 21:11 | コメント (4)

TOKYO GLOW

Photograph

今年のテーマは、輝き。最近、ちょっと表現が暗くなっていたようなので少し反省。見る人に心地よさを提供するには、何か希望が湧いてくる表現がいい。


20110130_01.jpg


そういう風に考えると東京の夜景は美しいものだ。きらきらと輝いている。都市が生命のように鼓動している。高速道路は、血液がどっくんどっくん流れているかのごとく、うごめいている。


20110130_03.jpg


真夜中になっても暗くならない。誰かが必ず起きているということだね。この都市はいつ寝るのだろう?誰かがぐっすりと寝ている間に活動している人達がいるということだ。


20110130_04.jpg


この汐留の高層マンションにもいろいろな人が住んでいる。たかが家の灯りなのにこうやって集合住宅を遠くからみると様々な色温度が宝石のように煌めいている。


あらためて見ると美しい都市。
GLOW...



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 22:23 | コメント (2)

虚無は、心地よい

Photograph

小さな沼で、虚無に浸った。この何もない風景は、空虚な時間が流れていく。日常の喧噪から逃れ、考えることを止めてみた。目を閉じ、耳を澄ませると秋風だけが耳元を通りすぎる。


101124_01.jpg


ああ、虚無。なんて心地良いのだろう。このまま流れに身を任せ、漂ってみたいものだ。毎日、あくせく働き、日々が過ぎ去っていく。けっして、目標がないわけではない。むしろ、たくさんあり過ぎるくらいだ。


あれもこれも同時にはできない。やる努力より、やらないことをいかに作ることの方が大事か?何かを成し遂げるということは、一時的な犠牲を払ってでもやらないことを作ることなのか?そして、やるべきことに全神経を集中させて、それに取り組む。


それができたら、どんなに幸せだろう。僕は、昼夜を惜しんで夢中になって取り組むことだろう。人は、「やればいいじゃないか?」と言う。そうなんだよ。やればいいだけのことなんだよ。多くのことを抱え込んでしまったばかりに、身動きできない自分がここにいる。


そのいらだちが、こんな何もない風景に身を委ねるととても心地良いものになる。たまには、こんな誰もいない、何もない、名もない風景に身を置いてみるものもいいものだ。


色もない、グレー世界。心をニュートラルにしてくれる。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 23:22 | コメント (4)

空虚に身を委ねる

Photograph

空虚。なんていい響きだ。雲一つない曇り空。一般的には嫌われる曇り空。車を飛ばして、写真を撮るぞ!意気込んで来たわりには、グレー一面の曇り空。嫌われ者の曇り空。その曇り空に嫌われ者のカラス。グレーの空にブラックのカラスが調和している。


101120_01.jpg


僕は、ブラックという色が好きだ。車もブラック。ファションもブラック。靴も鞄も持ち物もオフィスもブラックが基調。文具はほとんど、ブラックに統一され、ファイリングもブラック。デザインという仕事は色が氾濫するので脇役となるものは全てブラック。大量の本はブラックで統一することはできない。ただし、本棚はブラックにすることができる。ブラックの中にビビットなカラーを差し色で使用するとこれがまた映える。


全ての色を調和する色は無彩色と言われている。白は爽やかでいいときもあるけれど、少しでも汚れが目立ってくると気分をイライラさせる。真っ白なシャツを来て気分も爽やかなときに、担々麺のスープがぴっと飛び、シャツに点なりシミになったときは、一日中いらいらする。


グレーは、時にはシックで上品であるけれど、曖昧さがいらつかせる。ブラックは、きりっと全ての色を引き締めてくれる。そいう意味でカラスよ、あなたは僕と同じ考えのダンディズムを持ち合わせている。それなのになぜ嫌われ者なのか?それはね、品行方正じゃないからだよ。


ブラックを身に纏うということは、それなりに中身も大事なんだ。君はゴミ袋をくちばしでつっついて、食べ散らかしたりするだろ?それさえしなければ、ブラックでダンディな鳥として、みんなに認められるのに。あと、その鳴き声、なんとかならないのかね?「クァ〜〜〜ッ」だなんて。気の抜けたような人を小馬鹿にでもしている鳴き方して。あれは良くないよ。どうせ、鳴くなら腹の底から背筋を伸ばして「カーーーーッ!」と鳴いてみな。きりっとした印象になるよ。
そんな空虚なことを考え、シャッターを切った。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 00:10 | コメント (0)

空虚を楽しむ

Photograph

タルコフスキーの「ノスタルジア」という映画に触発されて、空虚な風景写真を撮ってみた。僕は、派手なモノより空虚なモノが好きだ。群れることが嫌いだ。一人遊びが好きだ。パーティが嫌いだ。そんなことを言って、誰にも誘われなくなるのも寂しいので必ず誘ってください。ただ、行くまで気が重いのです。行ってしまえば、結構はじけて楽しんでしまう方なんですけどね。


101118_01.jpg


多分、空虚がマイブームなんだと思う。僕はナルシストなところがあるので、孤独で空虚な自分だと思うとその世界に入り込んでしまって、自分に酔ってしまうのかもしれない。


101118_02.jpg


僕は、空虚が暗いなんて思わない。空虚を恐れたりなんかしない。不確かで、不安定の時代にみんなで手を取り合い助け合うことは大事だと思う。でも、無を楽しむ術を身につけると空虚なんか怖くない。こんなにも心を無にしてくれる。けっして、悪い方へ考えるのではなく、希望を持って未来のことを考えることができる。


101118_03.jpg


そう思えるのは、多くの友人達に助けられているからだと思う。助けられていることに依存するのではなく、そこから這い上がる努力は自分でしなければならない。その努力をするときに、一人空虚になり心を落ち着かせると頭のスクリーンに一抹の光が見えてくる。あとは、それを目指して突き進むだけ。


空虚に身を委ねると、身体が浮遊していき全身からアルファ波が出てくる。それがなかなか心地良い。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 16:25 | コメント (0)

タルコフスキーに魅せられて

Photograph

Yさんと車で撮影ぶらり旅に出た。あいにくの曇り空だったけど、イメージは僕の好きなロシアの映画監督、アンドレイ・タルコフスキー。あまり観光地化されていない、千葉県我孫子市にある手賀沼というところへ辿り着いた。


101115_01.jpg


タルコフスキーの「ストーカー」と「ノスタルジア」の映像を写真にできないかと思い、フォトスケッチで撮ってみた。タルコフスキーは、難解と言われている。叙情的で見ていると眠くなるとも言われる。でも、これは絵画と一緒であることが最近わかった。僕は評論家ではないので、難しい言葉を並べて知的に見せる必要もない。「ストーカー」を見て何度も寝てしまった。5回目くらい見てやっとそのストーリーが理解できた。


101115_02.jpg


マーコ・ロスコの絵もそうだけど、ある人に画集を見せたら「これは、どう見たらいいのかわからない」と言われた。僕は、しばらく困った。なんて解説すればいいのだろう?と。しばらく、その課題を考え続けたとき、ある日突然答えが出た。理解する必要なんかないんだ。評論家が難しいことを言うから、右脳で考えようとする。ただ目の前にあるものを感じ取ればいいだけだ。そう、絵というものは理解するのではなくただ感じ取ればいい。絵というものは特別な人だけのものではなく、誰もが何かを感じ取れるはずだ。ゴッホの絵がいいのか悪いかなんて、考える必要なんかない。ただ、好きか嫌いかだけだ。


101115_03.jpg


なんとなく、この曇り空と湿地帯を見ているときにタルコフスキーの2つの映画を思い出した。タルコフスキーの映画には水のシーンが頻繁に出てくる。淡々と流れるストーリーの中で、何か湿地帯のような、ぴちゃ、ぴちゃっ、という音とか、雨のシーンなんかが妙に心に残る。水の星に生まれた地球人だからだろうか?生物は水から生まれ、水に返るのだろうか?地球人としてのDNAが疼くのであった。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 23:33 | コメント (0)

飛べる鳥、飛べない鳥

Photograph

鳥は飛べると思うから飛ぶのだ。とは、古代ローマの詩人、ウェルギリウスの言葉。


101017_01.jpg


何か新しいことを始めようとするとき、さまざまな困難にぶつかる。こんなとき、「やっぱりダメなのかな?」と心をよぎることがある。どこで、決断をするかが大事なんだよね。悩んでいてもなんの解決にもならない。どこかで、結論を出さなくては。


101017_02.jpg


こんなとき、「20歳のときに知っておきたかったこと」という、スタンフォード大学集中講座の本を読んだ。本の帯に書かれていることは、「いくつになっても人生は変えられる」だった。「決まりきった次のステップとは違う一歩を踏み出したとき、すばらしいことは起きる」ともある。


本文中、アイデアについて、「失敗を成功に変える方法は数多くある」と書いてあった。


以下、本文から抜粋。
どんなに優れたアイデアも、成功するまでには多大な労力を必要とするため、問題にぶつかったとき、いつか突破口が見つかると期待してやり続けるのか、それとも見切りをつけるのか見極めるのは、とても難しいものです。粘り強さは美徳ではありますが、それが飛ぶはずのないものを必死で飛ばそうとする愚かしさになるのはいつなのでしょうか?ウィキアのCEO、ジル・ペンチナは、このディレンマを見事に表現しています。「丸太に油を注いだら、濡れた丸太にしかならないが、炎に油を注いだら大火事になる」つまり、自分がエネルギーを注いでいるものが、それに見合った成果が出そうかどうかを見極めることが大事なのです。


では、どうすればやめるべきときがわかるのかというと、それは誰にもわからないらしい。うまくいくときもあれば、うまくいかないときもある。この著者がたどり着いた結論は、「心の声に耳を傾け、選択肢を検討しなさい」だった。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 18:53 | コメント (0)

自然の造形物

Photograph

北国の湿原で美しい葉っぱを見つけた。これは、バイケイソウと言って、ユリ科の多年草で湿原に自生する。山菜のオオバボウシやギョウジャニンニクと似ているため、誤って食べて中毒にかかる事例があるそうだ。


100524_01.jpg


そんなことよりもこの鮮やかで美しいグリーンと、美しい曲線。このカーブを自然の力で創り出したというところがすごい。


100524_02.jpg


住宅メーカーの部長さんと設計士の方にお話を伺ったところ、自然物の中には直線がないという。とても興味深いお話だった。話は弾み、バルセロナにあるガウディのグエル公園、カサ・ミラという集合住宅の話題になった。急速に工業化が進んでいたバルセロナで、ガウディは同じセンスも持っていたグエル伯爵の下で自然と調和を目指した総合芸術を作ろうとした。日常の家具や建築物の多くは、直線でできている。これは、大量生産をするための工業化である。


やはり、生物が生きていく空間には曲線がもっとも心地良いと思う。虫かごに入った昆虫たちは、直線の空間で息苦しいのかもしれない。もっと、有機曲線を多用した、虫かごがあってもいい。デザインも調和ということを意識していかなければ、パソコン上でよくても調和しないということが出てくる。


僕のオフィスも曲線だらけにしたら、どうなるのだろう?効率化に慣れてしまった現代人には落ち着かないのかな?



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 12:12 | コメント (7)

旅立つ

Photograph

綿毛になったタンポポを見つけた。


100420_01.jpg


そろそろ、旅立つ季節がやってきた。花言葉は「真実の愛」ということだ。子供の頃、綿毛のタンポポにふ〜っと息を吹きかけ種を飛ばして遊んだ。まあ〜るく繊細で柔らかい球体はふわっと、一瞬コマ送りのように分解され飛んでいく。この瞬間がなんとも心地良かった。


子供の頃、まだ子供だった頃、子供らしい遊びをした。今と違って文明的な遊びなどなかったけど、近所の子供達と野原を飛び回り綿毛のタンポポを見つけて吹き飛ばした。


きっと、綿毛のタンポポも旅立ちたくてうずうずしていたに違いない。子供らしい子供がいたから、お陰で多くのタンポポは飛んで行けた。今でも風が吹けば飛んで行くのかもしれないけれど、子供達に後押しされて飛んで行く種は真実の愛を求めて旅に出る。


そして、今まで違った環境で新しい生活が始まる。別れもあれば出会いもある。そんな季節である。32年前のこの季節、僕も東京で新しい生活が始まった。都会の見るもの触れるもの全てが刺激的だった。この綿毛の種のように風に飛ばされて、北国の小さな町からふわふわと東京に辿り着き、根を下ろした一人である。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 22:27 | コメント (4)

多面体

Photograph

ラクーアにある光の多面体。


球に見えるけど、三角形の形をした面の集まり。面というより、本当は線の集まり。線というよりは、電球という点の集まり。ひとつだと電球でしかないけれど、これが線になり面になる。


IMG_1968.JPG


人は、一人では生きていけない。一人の人間が他人と手を取り合い、助け合い、思いやることで、社会という多面体ができる。仕事においても遊びにおいても人との関わりを持つことで、何か別のエネルギーが生まれる。きっと、人間関係の摩擦で傷つくこともあるかもしれない。


社会と関わるということは、その摩擦と避けて通れないということなのかもしれない。ストレス社会と言うけれど、ストレスのない社会など存在するのであろうか?ストレスという言葉がなかったときは、人はそれをストレスと認識したのだろうか?何か、ストレスという言葉に振り回されていないだろうか?


僕は、子供の頃、部屋に引き蘢り、ひとりコツコツと絵を描いたり工作をしたりするのが好きだった。外で野球をしたり、サッカーをするのが苦手だった。今では、この仕事は他人と関わっていくことで喜びを感じる。


他人に否定されたり、あまり反応がなかったりする中で、もっといいものを作ろうという意識が生まれる。本当は、傷つきやすい僕はそんな否定的な意見など聞きたくないのかもしれない。でも、ある時、それを受け入れたとき、世界が広がった。「もっと、もっと、否定して!」というくらいに。そして、いつのまにかそれを否定とは思わなくなった。今では、それを違う視点と言う。


この多面体を見つめながら、そんなことを思った。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 18:19 | コメント (6)

アーバン、ナチュラル派

Photograph

然別湖から、北東へ向って糠平湖(ぬかびらこ)へ行った。


091021_01.jpg


原生林に囲まれた山々の間には、靄がかかっていた。山林を走る車の前方には、青い鳥が左右に振り子のように飛びながら導いてくれる。湖へ辿り着いたら朝日が昇りかけていた。十勝の山の中は気温も低く、湖面には朝靄が漂っていた。なんとも幻想的で美しい風景。真っ暗な夜道から、ぱっと明るくなった気分だった。湖面に浮かぶ靄が朝日を反射して、優しく温かみのあるピンク色に染まっていた。何か心の中を投影しているかのようだった。


091021_02.jpg


風景というのは、気分を爽快にしてくれたり憂鬱になったりと感情を揺さぶる。この場所に身を置くことによって、風景と一体になれる喜びを感じた。都会派を豪語していた僕は、自然の美しさに打ちのめされた。現代社会では、多くの人と表面的な関係を築き、家庭を築き、仕事を通じ、趣味に高じる。彼らは、何かに利用するための人間関係を築き、誰かにしがみつき、友人も恋人も戦略的に選ぶ。


091021_03.jpg


自然のいいところは、そういうこととは無関係に日々の張りつめた緊張を楽にしてくる。居心地のいい人間関係というのは、地位や経済力でもなく、お互いに安らぎを与え、緊張を解き放してくるような関係だ。喜びを分かち合い、一体となれるとよりいい。


僕は、自然が好きになった。これからは、自らをアーバン、ナチュラル派と呼ぶことにしよう。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 17:00 | コメント (4)

ほんのり頬を染める

Photograph

大雪山国立公園に然別湖(しかりべつこ)という湖がある。


091008_01.jpg


北海道でもっとも標高の高い位置にある湖。この湖は3万年前ほどの噴火で川がせき止められてできた。湖の東側には唇山といわれ、湖面に映る影とその形からなんとも色っぽい形をしている。


日の出前から暗闇の中、三脚にカメラを固定して待機していた。湖の向こう岸から、朝日が登ってきた。上唇の形をした小さな山が、シルエットを映し出す。鏡のように澄んだ静かな湖面が表情の全貌を現してきた。上唇のシルエットが湖面にも映って、本当に唇のように見えてくる。なんとも神秘的な湖。鉄の斧でも放り投げてみたくなる。すると、湖の妖精が現れて「あなたの落とした斧はこれですか?」と言って、金の斧を差し出すんだよね。


この鏡のような湖は、自分の心を映し出しているのかもしれない。その時の心の状態が、見る人に様々な表情を見せるに違いない。人間関係にもミラーリングという法則がある。「あの人が嫌い」と思ったら、それが顔に出ていて相手にも伝わり、お互いが嫌いになってしまう。どんな人にだって、短所があるはずなのに、自分の短所はすっかり高い棚にあげて忘れてしまい、相手の短所だけが鼻につく。


ぶっきらぼうな顔をしていると誰もが近寄りがたくなり、本人が気付かないうちに次第に孤立して不幸になっていく。そのことに気がつかないと永遠それの繰り返し。不満は誰にだってあるけれど、お互い様なんだから相手の長所をもっと見るようにしよう。そして、自分から率先して笑顔で挨拶をしよう。きっと、幸せが訪れるよ。


091008_02.jpg


そんなことを考えていると、目が慣れてきて、桟橋で女性がボートを引っ張っている姿に気がついた。そのシルエットがとても美しく「きれいですね!」と僕は声をかけた。


091008_03.jpg


湖はみるみるうちに赤く染まった。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 19:25 | コメント (10)

子鹿のバンビ

Photograph

ここは、十勝の山奥。
車で走っていると「子鹿のバンビ」のようなシーンに出会った。


090929_01.jpg


バンビの原作は、オーストリア出身のフェリックス・ザルデン。動物文学小説で、動物の目から人間を見る視点を描いたのが画期的だった。


090929_02.jpg


雪も融け、春の陽気がうららかなある日、森の奥深くに住む、小鳥達が見守る中、シカの赤ちゃんが生まれた。それを見守っていた、カササギは森の仲間に知らせてまわった。森の仲間は、シカの赤ちゃんを見ようと次々に集まってきた。バンビと名付けられたこの子鹿は、森の仲間達とさまざまな冒険をしながら、成長していった。夏になり、食べ物を求めさまようバンビ親子。


090929_03.jpg


森の長老、みみずくに警告されていた人間の道路というところへ出てしまった。好奇心旺盛のバンビが見たものは、猛スピードでやってきた鉄のかたまり。慌てて、森の茂みの中に飛び込む。木と木の間から覗いてみた。すると、鉄のかたまりはゆっくりと停まり、中にいる生き物がこちらを見ている。


090929_04.jpg


「あっ、人間だ!逃げろ!」


僕は、バンビを親子に軽く挨拶をしようとしたのだけど、どうやら信用されていなく、逃げて行ってしまった。ディズニー映画の「子鹿のバンビ」は、人間が森の中へやってきて銃を向け、発砲するんだよね。そんな危険を冒してでも新しい世界へ飛び込むのが成長するということなんだと思う。このバンビの親子は、きっと、こわ〜い思いをして何かを学び取ったに違いない。ヒトも旅をすることで成長する。


090929_05.jpg


僕は、いいヒトなんだけど。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 21:26 | コメント (8)

スーパースター

Photograph

札幌の藻岩山の麓にちざきバラ園というところがある。
多くの品種の中でひと際、目を惹いたのがスーパースターというバラ。


090813_01.jpg


中2の時、ラジオからカーペンターズの「スーパースター」という曲が毎日のように流れていた。夏休みに入る直前のある日のこと。学校から帰ってくると母は庭の手入れをしていた。そこにはバラがあったけど、なんという品種であるか、当時の僕にはまったく興味がなかった。「ただいま〜」っていうと階段を駆け上り自分の部屋に入った。鞄をベッドに放り投げ、真っ先にやることはラジオのスイッチを入れFMを聞くことだった。


当時は、70年代ハードロックの最盛期。ヘビーなサウンドがヒットチャートに上がるという、今では考えられない時代。さしかわ楽器店で買ったヤマハのギターを抱え、荒々しいロックのコードを耳で拾っていくのが楽しみだった。そんな中、カーペンターズの「スーパースター」が流れてきた。ほかの曲とは違い、ゆったりと優しいボーカルに思わず聞き入ってしまった。


後で知ったけど、この原曲は、A Song for Youを書いたレオン・ラッセル。僕が大好きなしわがれボイスのデルタブルースマン。あんなブルージーなミュージシャンがこんな優しい曲を作れることに驚いた。詩の内容はこんな感じ。

   昔、もう遥か昔
   私はあなたと恋に落ちた。 
   2回目のショウの前のこと、
   あなたのギターは、とても優しく澄んでいた。
   でも、あなたは、本当はここにはいない。
   これは、ただのラジオだから。

   覚えている?「ねえ、君のこと好きだよ」って言ったことを。
   「また戻ってくるよ」って言ったでしょう?
   ねえ、あなた聞いて。
   私はあなたを愛してる。本当に愛している。

   孤独はとても悲しいこと。
   私は、もうとても待ちきれない。 
   あなたとまた一緒になりたい。

   どう言ったら、あなたはまた来てくれるのかしら。
   また私のもとに戻って、
   そして、奏でてください。あなたの悲しいギターの音を。


気がつくと、このバラには夕陽が射し、ちょっとオレンジがかっていた。久々に見下ろした札幌の街はずいぶんと様変わりしていた。「昔、あんたを連れてよくここへ来たのよ」と母は言った。目の前にはあの母が車椅子に乗っていた。何も覚えていない僕は、車椅子のグリップを両手で強く握りしめた。ゆっくりと時が流れていく。僕は『大事な待ち合わせに間に合わない』と時計を気にしつつ、落ち着かなかった。でも、なぜか以前のようにいらいらして「早く、帰ろっ!」と、冷たく言えなかった。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 15:08 | コメント (6)

アイデンティティー

Photograph

同窓会に出席してから、自分を見つめ直す機会が多くなった。


081028_01.jpg


30年間、ただひたすら前を見て走ってきた。故郷を懐かしんでいるようじゃ、考えがぬるいと自分に言い聞かせてきた。でも、気がついたら人生の折り返し地点をとっくに過ぎていた。フルマラソンで例えるなら、給水を取らなければならない時期なのかもしれない。


081028_02.jpg


2年前、札幌へ帰省した時、どうしても自分のルーツが気になり、車で石狩湾から北上して雄冬まで行った。もうちょっとで、留萌へ辿り着くところだったが、行く勇気がなかった。何を恐れていたのだろう。ちやほやされたかったのだろうか?自分が頑張ったことを認めてほしかったのだろうか?いや、まだ早いとでも思ったのだろうか?


よく考えれば、どんな人だってみんな苦労をともにして歳を重ねてくる。自分だけではないのだ。みんなに会って、やっと分かった。誰も口には出さないけど、笑顔で笑い飛ばし、何事もなかったように、いにしえの記憶を手繰り合う。つらいことは、忘れよう!ただ、それだけでいいではないか?


その時、雄冬で撮影した2枚の写真。ちょうど、季節は今頃だった。1枚目は、曇り空の寒々しい北国の日本海。何か空虚な感じがした。それが、どうしたとでも言いたげなふてぶてしい海。昔の自分を見ているようだ。


2枚目は、三脚に中判カメラを取り付け、しばらくアングルを探っていると、雲の隙間から光が差してきた写真。あまり、深刻に考えるなよ!とでも言いたげに。昔のみんなに会って、気がついたら馬鹿話をしている今の自分がいた。イタリア、ルネッサンス期の絵画のような御来光だった。


どんなに都会人ぶっても、北国の素朴な自分を打ち消すことはできない。歳はただ、呆然と取るものではなく、様々な困難を乗り越え、重ねていくものである。この陰と陽が、誰もが持っているアイデンティティーなのだ。僕は、何か大切なものを忘れていたような気がする。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 21:52 | コメント (12)

朽ちていくモノ

Photograph

鉄さびを観察するために山へ行った。


080905_01.jpg


鉄は錆びていく程、味が出る。ピカピカのモノでなければいけない時もあれば、錆びやペンキの剥がれがとてもいい味をだすこともある。僕はどちらかというと、新しいモノ好きだった。でも、全部がピカピカだと落ち着かなくなってくる。


080905_02.jpg


完璧なモノよりもどこか儚さや脆さを感じるモノの方が、愛おしくなってくるのかもしれない。


080905_03.jpg


レディの鉄は言った。「なぜ、ピカピカでなくてはいけないの?」
ダンディな鉄は、それに応える。「それは、鉄のように逞しいモノは、未来を見て輝いていなければならないからだ」
レディは言った。「でも、使い古されて朽ちていくモノには、物語があるわ」


080905_04.jpg


僕は、男なのだろうか?女なのだろうか?気持ちは男である。と、思う。「えーーー!自信ないのかよ、おまえ!」と言われそうだが、最近、正直言ってよくわからない。一般的な男性よりもきれいなモノに反応するらしく、よく「女性的ですね」と女性に言われる。う〜ん、武士の精神のはずなんだが。


大きくて逞しくて、権力の象徴みたいなモノより、きれいなモノ、儚いモノ、物語性を感じるモノに魅力を感じる。チューニングはちょっとずれているくらいの方が魅力的だ。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 17:01 | コメント (8)

エレガントな空港

Photograph

フランスのシャルル・ド・ゴール空港は、とてもエレガントだと思う。


080629_01.jpg


僕はこの建築デザインが好きだ。この空港にカメラを向けながら、コンコルドに見える構図を探ってみた。今では、見ることのできないあのマッハ2で飛ぶ、夢の超音速旅客機である。1960年代も終わりの頃、この飛行機は話題になり、特に飛行機マニアでもない、まだ小学生だった僕の心をときめかせた。


エレガントというデザインには、反実用的な要因がつきまとう。このコンコルドは超音速で飛ぶため、ソニックブームという現象を引き起こす。これは、飛行機が音速を超えて飛行すると、衝撃波のエネルギーが地上に伝播し、地上の建物の窓ガラスが割れることもあるらしい。しかも、乗客定員が100名と少なく、燃費が悪く高運賃であった。


高度成長期の真っただ中の60年代は、飛行機に乗るということが、なんだかとてもステータスな感じがした。僕の父は、毎月のように、出張で飛行機に乗ってANAやJALのプレミアムグッズをお土産に片手に帰ってきた時は、うれしかったものだ。小学生だった僕は、まだ飛行機に乗ったことはなかったが、乗る時は、たぶん、お粧してブレザーに蝶ネクタイ、半ズボン姿で乗せられたことだったろう。ベレー帽なんて被せられた日にゃぁ、たまったもんじゃない。


今では、ラクジュアリーという言葉が流行っているが、このシャルル・ド・ゴール空港の曲線と繊細なラインは、エレガントという言葉にぴったりだ。エレガントという言葉は、カタカナにするとどこか気取って、歯が浮くような響きであるが、僕の解釈は、見る人々に優雅で穏やかさを与えるものだと思う。環境に優しいとは、なにもエコだけの問題だけではなく、相手に対して穏やかさを提供することであってもいいのではないか。世の中に優雅なデザインを増やしていけば、犯罪も減るのではないかと思うのだが。もっと、穏やかに、優雅に、そして、お互いを思いやろうではありませんか。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 19:38 | コメント (10)

ローマの壁

Photograph

写真を整理していたら、ローマの壁の写真がでてきた。


080526_01.jpg


どんな人でも壁にぶつかることがないだろうか?僕は、壁にぶつかった時、必ず突破口があるはずだと、自分に言い聞かせている。そんな苦境に立たされた時を思い出して、壁をじっと見つめているのが好きだ。


080526_02.jpg


海外旅行へ行っても、観光名所よりも壁を見つめていることが多い。だから、友人たちに「どうだった?」と聞かれると、とても困る。どうやら、多くの人は、ありきたりの答えを期待しているようだから...


080526_03.jpg


壁にマクロレンズを向けて、シャッターを切っている僕に、現地の人は不思議そうに声をかけてくる。イタリア語は、分からなかったが「そこに何があるんだい?」とでも聞いているのだろう。

そこに何があるかって?僕にとっては、それは景色だ。コロッセオやトレヴィの泉よりも面白い。ずっと見つめていると、壁が壁ではなくなってくるのだ。こんなにもいろいろな表情があるではないか。そう思うと、どんな壁にぶつかっても乗り越えられるような気がするものである。

勝ち組、負け組という言葉を聞くけど、勝つというのは、誰に勝つのだろうか?他人に勝ったとしても何もいいことなんかありゃしない。そこに憎悪が生まれるだけだ。どんな難しいプロジェクトでも多くの場合、他人との共同作業が必要だ。一人一人が、自分の壁を乗り越えられた時、そのプロジェクトは威力を発揮するのではないだろうか?ローマの壁は、自分自身を高めてくれる、ずっしりと重い壁に見えてくる。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 01:51 | コメント (8)

小さな小さな花

Photograph

気持ちを整理するために公園を歩いた。
華やいだ花壇の片隅に、目にも留まらぬ小さな小さな花を見つけた。


_DSC1496.jpg


その名をわすれな草と言う。花径が5mm位(写真は2倍率のマクロで撮影)の小さな小さな花。じっと見つめると、特に強い風が吹いているわけでもないのに「ここだよ」って、全身に力を込めて、ぷるぷるっと揺れて合図する。

小さくても「私を忘れないで」と言っているように見える、わすれな草は、ドイツにこんな言い伝えがある。

ある日、ドナウ川のほとりを歩いていた恋人達。青年が岸辺に小さな小さな可憐な花を見つけた。青年は、その花を摘んで、彼女へプレゼントしようとした時、過って川へ落ちてしまった。必死で、岸へ泳ぎつこうとしたが、残念なことに青年は激流に飲み込まれ、力尽きてしまった。その間際、青年は彼女に「どうか、僕のことを忘れないで」と言って、小さな花を放り投げたそうだ。

目にも留まらぬ小さな花だけど、一度見たら決して、忘れることができない、ロマンチックな花。


小さな花のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 20:03 | コメント (18)

アンダルシアから、チェリーブロッサム

Photograph

週末、打合わせの帰りに不忍池へ立ち寄った。
桜が満開なので、カメラを向けた。


070401_01.jpg


みんなカメラを持って、桜日和を満喫しようとしているが、とにかく、風が強い。ファインダーを覗いて、息を止め、風が止む一瞬を捕えようとするが、花びらはブレる。焦る。桜がぴたっと止まらない。背後の視線が気になる。早く終わらせたい。


070401_02.jpg


そのうち、桜の花びらが、ダンスを踊っているように見えてきた。ここは、タブラオと呼ばれる酒場。フラメンコダンサーのドレスが、宙を舞う。木々をよぎる風が、ざわざわと蠢き、カンテのように聴こえる。カスタネットの音が小刻みに聴こえ、サビーカスのギターが、哀愁を誘う。

ピントが合わないのは、まさにバッドチューニング。僕は、この瞬間まで、わざわざカメラを三脚に取り付けて、桜にピントを合わせなくてはいけないと思い込んでいた。心の中で、もう、普通の桜は見飽きたじゃないかと、つぶやく。僕が撮らなくたって、毎年同じような写真を誰かが撮影している。こんな花見があってもいい。気分は、アンダルシア。


上野で見つけた、桜のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 01:49 | コメント (12)

Cool time, Warm time

Photograph

東京の人は「冷たい」という人がいる。
でも、それはそう思っている自分の自己投影なのではないだろうか?
新宿副都心にも時間によって、いろいろな表情があるように。


0448.jpg


午後4時30分37秒。殺伐とした都会の風景。誰も他人のことなんか、構っていられないとでも言っているようだ。


0477.jpg


午後5時28分37秒。暖か味のあるオレンジ色の西日が、一日の終わりを知らせ、人々の温もりを感じる。


0485.jpg


午後5時38分42秒。東京は、眠りについたように見える。実際には、夜もフル稼働している都市であるが....(この後、本番撮影が始まったので、現場に戻る)

昨日、ある人達を食事に誘って、楽しい時間を過ごした。昨年、自社でWEB制作を行っていた時、問題点に直面し、ウチのスタッフがネット検索で、たまたま見つけたWEB制作会社に問い合わせたら、親切丁寧に対応してくれた。

僕達は、本当に困っていて、見ず知らずの人間が問い合わせても、相手にされないだろうと思っていた。でも、「やってみなければ、分からないじゃないか?それで、ダメだったら諦めもつく」と、僕はスタッフに言った。

あれからずっと、何か御礼をしたいという気持ちがあったので、どうそれを伝えるべきか、考えているうちに4ヶ月が経ってしまった。そこで、思い切って、食事に誘ってみた。相手の方は、「今さら、何だろう?」と警戒されたようである。

でも、あまり会う理由なんかなかったんだよね。他愛ない話で、盛り上がったけど、家に帰ってからもなんだか幸せな気分だった。自分から行動しなければ、温もりという時間は手に入らない。


温もりという時間のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 13:43 | コメント (4)

時空を超えた、レインボーブリッジ

Photograph

さらに、恵比寿ガーデンプレイスからの眺望。
こんなに、東京の風景を眺めていることも、めったにないかもしれない。


0446.jpg


上の写真は、午後4時29分37秒、六本木ヒルズから、右側へファインダーを向けると、レインボーブリッジが見えた。やや、陽が沈んできた。4,500K(ケルビン)かな?色温度が違うと、同じ風景でも、ちょと、過去に戻ったみたいだ。


0478.jpg


午後5時17分29秒。さらに陽が沈み、影が長く延び、ビル群がオレンジ色に輝く。色温度はぐっと落ちて、2,500Kくらいだろうか?もっと、過去にタイムスリップしたような感じで、とてもノスタルジックな印象だ。


0486.jpg


午後5時39分10秒。太陽が、地平線すれすれに沈みかけ、夜のとばりが幕を降ろす。TTL測光の露出が、18%グレーに合ってしまっているので、明るく見えるが、実際には夕日が沈み、肉眼で見るともっと暗い。太陽が、地平線に隠れかかっている光なので、ダイレクトに光が当たらず、柔らかくロマチックで未来を感じる。

この日陰は、何ケルビンなのだろうか?あいにく、フォトグラファーのようにカラーメーターを持っていないので、今後の課題にしよう。それにしても、こうやって並べてみると、見えていないものが見えてきた。


時空を超えた、バッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 01:09 | コメント (14)

3,000ケルビンの夕暮れ時

Photograph

午後2時から、ずっと東京の風景を見ていた。
同じ六本木ヒルズでもこんなに違う。


0445.jpg


お昼頃の太陽光は、5,000K(ケルビン)の昼白色と言われている。最初の写真は、午後4時29分16秒。やや、地平線の向こう側が、赤みがかってきた。4,500Kくらいかな。


0484.jpg


次の写真は、午後5時37分37秒、約3,000K。六本木ヒルズに西日が当たり、東京のど真ん中で、モニュメントのようにそびえ立っていた。古代マヤ文明が、太陽を神と崇めたように、この光り輝いた一瞬が、神と一体になるような気がした。民衆はこのモニュメントを神と崇拝する。古代人となんら、変わらない。

雲ひとつない,快晴の日は、気分が活発になり外に出てみたくなる。これが、6,500Kの昼光色。夕暮れになると、なんだか家に帰って、ソファーに深々と腰掛け、ゆったりとした気分を味わいたくなる。

コンビニは、お客さんを活動的にさせ、回転率を上がるために明るい蛍光灯を使用して、色温度を上げている。雰囲気のあるレストランでは、ゆったりと食事を味わえるように、ちょっと、赤みがかった白熱灯の間接照明やキャンドルを灯し、低い色温度に設定されている。ロウソクの炎は、2.000Kくらい。

レストランで、ゆったりとディナーを楽しみたいと思っているのに、色温度の高い蛍光灯だと落ちつかないよね。夕日を「ぼーっ」と眺めて、無心に遠くを見つめてしまうのは、なぜだろう?人間には、色温度に反応するセンサーでも埋め込まれているのかもしれない。この見慣れた、東京の風景を見ていると「ぼーっ」と時が経つのを忘れてしまった。


色温度のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 22:04 | コメント (10)

17:27黄昏東京タワー

Photograph

撮影の合間にガーデンプレイスから、
カメラを構え黄昏時を待ち続けた。


%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC.jpg


前回のコメントで、モネの話をいただいたので、しつこくガーデンプレイスビューを掲載することにした。その話は、モネが睡蓮を時間毎に光による色の変化をキャンバスに定着していったという内容のものだった。僕は、印象派の絵画というのは、色温度を表現していたのだと思う。


IMG_4031.jpg


2枚目の写真は、フォトグラファーが、テスト撮影している時に、僕がそこに誤って写ってしまった写真。ほら、窓の外は黄昏がかってきたでしょう。室内に露出を合わせているので、外の露出はちょっとオーバー気味だけど。この季節、心の琴線に触れる色温度は、17:00〜17:30位の一瞬であった。

風景写真を感動的なものにするには、一日中、そこに張り付いて、色温度を観察しなければならない。見慣れた風景もまた、違った表情を見ることができる。多くの人が見たというのは、意外と見ていないものだ。

その時々の色温度と露出とレンズ特性が、偶然、そのような色合いになるのだと思う。写真は、いくらでもバリエーションを撮る事ができるけど、それをセレクトして発表するは、自分の決断が左右する。だから、写真の善し悪しに答えはないのだ。同じ風景を撮影しても、人それぞれ違ったものが出来上がるのは、写真というのは、撮影者の心の投影なのではないだろうか?


東京タワーのバッドチューニングを求めて。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 00:08 | コメント (14)

忍び寄るカゲ

Photograph

恵比寿ガーデンプレイス39階で撮影だった。
晴れ男の僕は、人差し指を天に向けて仰ぐと、
モーゼの十戒のように雲が左右へとひいていった。


_DSC0470.jpg


それにしても、東京という都市は建物が密集していて、上から見下ろすと圧倒される。特に恵比寿は、オフィス、店舗、住居が混在しているようだ。真ん中には、東京タワー、左には六本木ヒルズ、右にはレインボーブリッジが見える。

そして、恵比寿ガーデンプレイスを見下ろすと、住宅街一帯が、窪んだように低く立ち並ぶ。そこへ巨大な黒いカゲが、おおい被さるように長くのびる。六本木ヒルズや東京タワーさえも飲み込んでしまいそうな勢いだ。不気味でもあり、絶景でもある。

権力の象徴は、どこまで戦い続けるのだろう。僕の嫌いな「勝ち組」、「負け組」という言葉。この巨大な実態のないカゲは、何に勝っているのだろうか。

そんな事を考えながら、モーゼに成り切っていた僕は、なんだかこの巨大な黒いカゲを操っているような錯覚に陥った。とうとう東京を征服したか!(いや、そんなことはない!)


大都会のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 00:29 | コメント (24)

空をトリミング

Photograph

また、首都高速のお台場出口で渋滞。
車が一向に動き出しそうもないので、写真を撮った。


%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%99%E7%A9%BA.jpg


上を見上げると高速道路が、まるでL字型のトリミングスケールのように見えた。撮影現場では、フォトグラファーが写真を撮り、アートディレクターやデザイナーがトリミングスケールを持って、写真をトリミングしながら方向性を詰めていく。

今では、デジタル撮影が主流になり、現場ではモニターでチェックすることが多くなったので、レイアウトデータをパソコンに入れて、モニター上でトリミングをすることが多くなった。

それでも、僕はトリミングスケールを持っていくようにスタッフに指示する。それは、まわりを黒で覆うことができ、雑念を排除することができるからだ。常日頃から、人差し指と親指でL字を作って、構図を決めていくのが癖になっているのだ。(みんなやっていると思うけど)

肉眼で見ていると、いろいろな雑念が目に飛び込んでくるが、こうやってトリミングして覆い隠すとテーマが絞れてきて、新たな発見がある。それが、日常の見慣れた風景の中に美を発見する、ということである。

前回のブログの不忍池も削ぎ落としたから、いろいろな発見があった。肉眼で見ていると、いろいろなものが視界に入ってきて、決して美しい風景とはいえないものでも、どこか異国の地へでも行ったような光景になる。

多くの人と同じものを見ていても感じ方が違えば、画面の切り取り方も違うということだ。渋滞の中、どんよりした曇り空であったが、写真で見ると柔らかく、美しい色あいであった。きっと、写真とは心の投影なのであろう。


心のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 14:43 | コメント (8)

黄金のひらめき

Photograph

上野で途中下車。
不忍池は、黄金に輝いていた。


shinobazunoike.jpg


不忍池は、ハス池、ボート池、水上動物園の3つからできている。冬は、枯れた蓮の茎が、林立してあまり美しくないと思っていた。ところが、時計を見ると午後3時57分。なんと、西日を浴びたハス池の枯れ草が、黄金に輝いているではないか。

みなさん、アイデアって、どう浮かびますか?何時間も窓の外を眺めて、ぼーっ、としているうちになんとなく浮かびますか?それとも、机の脇に本を片っ端から積み上げて、なにかしらから、影響を受けますか?仕事のできる人は、すぐに次から次へとアイデアが出て、そうじゃない人は、何時間も何日も机にへばりついていても、一向にアイデアが出る気配がない。出たと思ったら、たったの1案。これじゃ、検証も議論もできませんよね。

そこで、僕は、10数年前にアイデアを出すレベルの標準化を目指し、システムを考えた。それからというもの、スタッフのみんなは、いろいろなアイデアを出すようになった。一番、大事なのは、アイデアを発表する勇気。否定されるかもしれないし、絶賛されるかもしれない。だから、その勇気をたたえ、絶対に否定してはいけないのだ。

まずは、「いいね〜!いいね〜!」と聞いてあげる。そこで、ダメだなんてすぐに答えを出さない。次に「ほかには?」と言うと、また次から次へと出してくる、それでも「ほかには?」「以上です」とやり取りがあり「では、今回のプロジェクトの目的や、ポジショニングや...」とあらゆる角度から検証して「どれにしようか?」と議論する。だから、だれも傷つかない。いきいきと発言し、お互いが触発して、さらに「はっ」と閃く。それを「降りてきた」と言うのですけどね。黄金に輝いている、不忍池を見て、閃いた瞬間のようだった。


黄金のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 14:13 | コメント (12)

東京にも空がある

Photograph

ある平日の午後、車でお台場へ向かった。
何か大きなイベントでもあるのか、首都高のお台場出口は渋滞だった。
車は一向に進まないので、僕はカメラを取り、シャッターを切り出した。


DSC_0112.jpg


こんな渋滞でも『無駄に過ごすことはできない』とポジティブに考えるところが、僕のいいところでもあるのだ。いや、単に貧乏性なのかもしれない。すぐ、時間がもったいないと思ってしまうところが、ゆとりがないのかな。

高村光太郎の「智恵子抄」に出てくる、智恵子は「東京には空がない」と言った。「ほんとの空が見たい」と言った。智恵子は遠くを見ながら、「阿多多羅山の山の上に毎日出ている青い空がほんとの空だ」と言う。

東京の空は、智恵子の言う、青い空とは違うかもしれない。東京は、大きいものが勝つ、権威のあるものが強いという都市かもしれない。でも、この東京に住む人々は、どんなに地位や名誉の違いがあってもこの大空には太刀打ちできない。

僕は時々、地面の蟻を見ては「おい、こら、ここに巨人がいるのが見えないのか?」と注意したくなる。あんなにあくせく働いている蟻を思わず踏んでしまいそうになったからだ。

あのビルの中で働いている人達は、この大空に較べたら蟻と人間みたいにちっぽけな生き物。取引先やボスの顔色を見てあくせく働いている。この風景を見ていると、大きな黒い魔人が今にも都会の人々に襲いかかろうと忍びよってきているようにも見える。「こら、もっと大きな心を持ちなさい」と。これは、下を向いて携帯メールばかり打っている、都会人への警鐘だ。


都会の空のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 18:01 | コメント (14)

雪景色の琳派

Photograph

恵庭岳の下流、白扇の滝からさらに南下すると漁川(いざりかわ)ダムがある。
漁川は、ラルマナイ川とイチャンコッペ川に挟まれている。
氷に覆われたダムの支流は、一部解けて優雅な曲線を作っていた。


DSC_6208.jpg


最近、デザインを掘り下げていくと、日本人としてのアイデンティティーが重要であるような気がしてきた。海外ブランドを身に纏うのも良いが、日本人としてのルーツを再認識したい。僕自身、世界のブランド品には興味があるので何も懐古趣味に浸るというのではなく、現代のグローバル化社会を見据えたうえで、日本人であることを意識していきたいということかな。

そこで、琳派。19世紀のヨーロッパでは、アールヌーボーが全盛であった。日本が初めて参加したパリ万国博覧会を皮切りに、浮世絵、琳派、工芸品などを次々に出品していった。面を埋め尽くさんばかりの華美な装飾を美とされていたのに対して、大胆に空間を取り入れた日本美術の手法にヨーロッパの人々は驚いた。

アメリカの経済学者、P.F.ドラッカーは日本美術の根底にあるものは、空間を重視することで、画面における余白が大きな意味を持っているという。西洋が幾何学的、中国が代数的、日本は空間がそれぞれのパーツを区分している、というように琳派は現代のデザインに通じるものがあるのかもしれない。

そして、日本美術の特色は、概念ではなく知覚、写実ではなくデザイン、幾何ではなくトポロジー、分析ではなく統合にあるとドラッカーは言う。絵画の世界では立体感のないデザイン的という言葉が日本人のコンプレックスであったらしい。僕は、なにも幾何学的な黄金分割だけが構図を支配しているのではないということと、この先人達が築いた空間的表現をとても誇りに思う。


日本人のバッドチューニングを雪景色に見つけた。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 16:05 | コメント (16)

氷の首飾り

Photograph

今年の札幌は暖冬で例年より雪が少なく、
白銀の雪景色を求め、車で恵庭岳方面へ向かった。


DSC_6175.jpg


どこを見ても雪が少なく、車で南下しているうちに恵庭岳麓にある白扇の滝へ辿り着いた。この滝は、恵庭渓谷から流れてくる渓流で、この下流では優美に扇を広げたような姿に見えることから名付けたらしい。

暖冬といっても、極寒の渓流はそこにいるだけで、体の芯から凍えてくる。

渓流の岩肌に積もった雪は氷に変わり、その冷たさがマリー・アントワネットの首飾りのようだった。自然の中で発見した氷のジュエリーは、数億円ものダイヤモンドより美しく見えた。


極寒の中のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 23:11 | コメント (12)

ジェラス・ガイ

Photograph

クリスマスイヴの休日は、町中、若いカップルで賑わっていた。
以前、ジョン・レノンは、オノ・ヨーコに嫉妬してこんな曲を歌っていた。


DSC_5384.jpg


昔のことを夢見ていたら胸が早鐘のように高鳴った。
僕は、自制心を失いかけていた。そして、われを忘れかけていた。

傷つけるつもりはなかった。ごめんよ。きみを泣かせたりして...
傷つけたくはなかったんだ。僕は、焼きもちやきなんだよね。


ひどく心細かったんだ。きみがもう愛してくれないと思って。
心の中で震えていた。心の中でおののいていた。

きみの気を引こうとしただけなんだ。僕を避けてるように感じたから....


DSC_5361.jpg


赤は、師走の寒空の中で赤く染まっていた。
補色関係にある緑と赤は、混色すると真っ黒になってしまう。
(ジョン・レノン、ジェラス・ガイから)


緑と赤のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 00:55 | コメント (8)

緑と赤のグッドな関係

Photograph

東京のあるウェディング会場のロケで
モデルのメイク待ちの合間に撮った中庭の写真。
緑の葉っぱの中に赤い花びらが、そよ風に乗って飛んできた。


green.jpg


あるところに、緑というジェントルでインテリジェンスな男がいた。この男は、本を読むことしか能がないクソ真面目なヤツだった。今、流行のちょい悪オヤジとは、ほど遠い男だった。そこへ、赤という陽気で可憐な女性が現れた。緑の男は赤い彼女に恋をした。彼は、平凡で何の変化もない日常が急に生き生きとしてきた。内に秘める、燃えるような恋だった....

単純な緑というよりも深みのあるブルーグリーン。これが、ルドルフ・シュタイナーのいうところの「緑は一層飽和し、生き生きとしてくる」ということか?このくらい、緑の面積が多いと主体となるテーマが明確になる。

バッドチューニングという言葉が、ネイティブな英語としてどうなのか、知り合いのさらに知り合いのアメリカ人に聞いてもらった。BADとは、口語で「かっこいい」という意味もあるらしい。


まさに、この緑と赤はバッドチューニングだ。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 23:19 | コメント (12)

神々が住む山

Photograph

地球岬をあとに、車で昭和新山を抜けて、
支笏湖方面へ向かうとホロホロ山が見えてきた。
ここは、白老の山々を司る神、ヌプリコルカムイが住むところ。


DSCF1325.jpg


この神は、日高山脈に住む白熊の姿をした神。別名、レタルカムイ(白い神)とも言うらしい。この響きの良い山名のホロホロは、フクロウの鳴き声によるものと言われている。

この神を見ると途端に突風が吹くが、人間はその風に吹き飛ばされても決して、怪我をすることがないのだそうだ。また、この神は人間の女と恋愛をしたとも伝えられている。

国道453号線を北上していくと右手にこの山が見える。雲がかかって見えなかった山が、だんだんと晴れ渡り、山頂が姿をあらわした。僕は、ヌプリコルカムイを見たのだろうか?この神が、山頂の雲を吹き飛ばしてくれたに違いない。


DSCF1323.jpg


車を止め、降りて、後ろを振り返ると、山の向こう側も雲が遠ざかっていく。僕を中心にモーゼの十戒のように雲がさーっと左右に分かれていった。山々に挟まれて、耳を澄ますと、気のせいかホロホロ〜、ホロホロ〜、と聞こえるような気がする。

東京では、今頃、通勤ラッシュで慌ただしいだろう。時を同じくして、こんなに静かで神聖な場所があるなんて。


これは、時空を超えたバッドチューニングだ。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 23:50 | コメント (6)

渡り鳥の想い

Photograph

この地域は、渡り鳥のルート上にあり、
その渡り鳥を狙ったハヤブサの営巣地としても知られる。
運が良ければ、春から秋にかけて
回遊するイルカやクジラが見えることもある。


DSCF1312.jpg


室蘭の地球岬に立っていると、ここは北海道なのだと実感する。僕の祖先は、どうやって津軽海峡を渡って極寒の地へ辿り着いたのだろうか?

あいにく、どんよりとした曇り空。神様が申し訳なく思ったのか、向こう岸を少し照らしてくれる。あちらに見えるのは駒ヶ岳で、向こう側には函館がある。左側には、かすかに青森の下北半島が見える。


DSCF1302.jpg


そんなことを考え、海を見渡していると、先程までの曇り空が嘘のように晴れ、青空が広がった。ありがちな風景だけど、青い空に白い灯台が映える。

僕も海を渡って、30年。祖先は、北海道にロマンを抱いて渡ってきたけど、僕は、東京へロマンを抱き、渡っていった。なんだか、不思議だよね。


まだまだ、ロマンは続く、渡り鳥のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 23:24

小さな森のドラミング

Photograph

湿原の森に小さな沼があった。
ポロト湖の脇にある、小さな、小さなポント沼から、
木をつつく、キツツキのドラミングが水面に響き渡る。


DSCF1280.jpg


このあたりは、湿原なので枯木が多く、虫もたくさん寄生しており、キツツキにとっても冬の食料貯蔵庫となっているようだ。

ここに生息するキツツキは、アカゲラというらしい。あまり人を恐れず、近くまで来て、トントンしていることもあるという。木々を見るとアカゲラが住んでいたと思われる樹洞がたくさんあり、そのお下がりを他の鳥達がリフォームして使用しているらしい。

それにもしても静かだ。車の騒音も、OA機器のノイズもなく、誰かを恫喝して声を荒げている人もいない。姿は見えないけれど、トントンッ、トントンッ、と木をつつく音が、静かな湖畔にリズミカルに響き渡る。

都会で、勝ち組、負け組などと言っていることが、バカらしくなったりしないだろうか?いや、そういう人達をここへ連れて来ても、きっとこの軽やかなドラミングは聞こえないだろう。そう、心の清らかな人にしか、聞こえないに違いない。

後程、調べたところ、アカゲラは赤、白、黒のコントラストが美しいモダンデザインの配色であった。緑の森の配色には、似つかわしくない、とてもおしゃれな装いだった。


静かな湖畔のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 20:03 | コメント (11)

湖畔で生きる

Photograph

ポロト湖畔には、鮮やかなマリーゴールドが咲いていた。
北国は10月だというのに、花は満面の笑みを浮かべて、
僕に微笑みかけてくれる。
この花の花言葉は「生きる」だ。


DSCF1256a.jpg


これは、フレンチマリーゴールドという品種のようだ。5月〜10月まで咲く、多年性植物。最初はパリのフランシス王の庭園に入り、各国に流れたということだ。観賞用としてもきれいだが、根に線虫の防虫効果があるということから、作物の間に植えられることもあるらしい。

マリーゴールドの名前の由来は、聖母マリアの祭日に咲いていたため「マリア様の黄金の花」と呼ばれている。マリアのゴールドで、Mary' gold。17世紀ころの絵画によく登場する。

第二次世界大戦中にイギリス空軍パイロットが、偶然ブルーベリーを食べて、視力が良くなったという話は有名だ。その話を聞いた、ある製薬会社がそれを上回る効果をもつものを捜していたところ、マリーゴールドの花びらから抽出されたということだ。

その成分から、暗順応改善薬「アダプチノール」が作られて、現在では目の薬として使用されているそうだ。

それにしてもこんな空気が澄み切った青緑が多い湖畔の風景に、寒々しさを補うかのように鮮やかに咲いている。

仕事でカラーリングを考えている時、まずはテーマカラーの同系色でコーディネートする。それから、スパイスとしてワンポイント、反対色を入れるとそのデザインが急に力強く生き生きと甦る時がある。

一歩、間違うと、目が痛くなる程の強烈なハレーションを引き起こす際どい配色。だから、力強く「生きる」なのか?


自然界で見た配色のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 15:22 | コメント (6)

野菊の湖

Photograph

父は言った、「野菊だ」と。
僕は、相変わらずそんなところは見ていなかった。
白老のアイヌ部落の近くにある、
ポロト湖という美しい湖に来ていた。


DSCF1260.jpg


クリエイティブに関わっている僕は、若い頃、「ニューヨークだ」、「ロンドンだ」などと言っていた。子供の頃、家族でドライブに行っても心はそこにあらず、作りかけのプラモデルのことやビートルズのレコードジャケットのデザインは誰が手がけたかを心配していたものだ。

「いつかは、ビッグになってやる。親父みたいなサラリーマンになんかなるものか」と親の苦労も知らず、思ったものだ。しかし、そんな生意気な小僧は、いつしか大人になり、野菊の美しさに感動するどころか、側にいた父の「野菊だ」という感受性に驚愕した。


DSCF1267.jpg


僕は、その言葉に反応して、デジカメを野菊に近づけて、できるだけクローズアップにして撮った。肉眼で見るとただの雑草にしか見えない、小さな、小さな野菊。

この風景の主役は、あくまでもポロト湖。確かに美しい。それを横目にこの野菊は、北国の秋を迎えても、いじらしいくらい逞しく風に揺られて咲いている。


DSCF1277.jpg


そういえば、中学の時、読んだ「野菊の墓」は、たしかこんなだったと思う。主人公は、年上の恋人に『ここに野菊が』というが、彼女は足を止めず、すたすた先へ行ってしまう。

それは、幸が薄い恋人が先に死んでしまって、追憶をしているシーンであった。さらに思う。『彼女は野菊のような人であった。そして、田舎風ではあったが、けっして粗野ではなかった。可憐で優しく品格もあった。厭味もなく、どう見ても野菊のようだ。』と...


いまだ、父の感受性を超えていない、我がまま息子のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 23:49 | コメント (10)

陽のあたらない風景

Photograph

小樽の観光スポットからしばらく歩いてみた。
オルゴール堂や北一硝子から、ちょっと離れた路地裏だ。
そこは、人通りもなくひっそりと静まりかえっている。


06_A4.jpg


裏通りを歩いていて左の空き地に目をやると、そこはレンタカーショップの車置き場の空き地だった。レンタカーショップといっても、小樽ならではの古びた石造りの建物で風情を生かしたまま営業している。

ドアにレンタカーと小さく、プレートが貼り付いていたけれど、東京のように看板が大きくあるわけでもなく、のぼりも立っているわけでもない。ひっそりしていて、もしかして北海道は景気が悪くて、潰れてしまったのでは?と思うほどだ。

遠くから窓を覗くと、裸電球が煌々と光っていて、どうやら営業しているようだ。中の人々は忙しそうに電話の応対に追われている。僕は、そのレンタカー置き場のスペースを無断で借りて三脚を立て、隣の古い廃墟と化した建物を無心で撮影した。

ぼーっと、その壁を見つめていると時間が経つのもすっかり忘れ、陽が沈みかけてきた。この時間帯が写真では色味が青白く映り、ただの壁もひと味違った情景になる。

気のせいかもしれないが、じっと、ファインダーを覗いて陽が沈みかけていく瞬間を待っている間、遠くの方からニシン漁で活気を帯びた海の男達の声が、時を超えて聞こえてくる。

いつの間にか、ただの廃墟と思っていた古びた壁が、何か独特の表情を帯びてきた。時計を見ると30分近く、古壁を見つめていた。


時を超えた壁のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 13:41 | コメント (6)