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美に囲まれる

Art & Design

お気に入りの作品の一部を壁にレイアウトしてみました。まだまだ、たくさんあるけれど、これはほんの一部です。


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ARTを日本語に翻訳すると、芸術と美術という意味に訳されると思います。
以前、BSのテレビで「現代アートとは、何か?」というような内容の番組を観ました。そこで紹介された現代アートは、奇妙なものばかり。最後にニューヨークの有名キュレーターに「現代アートとは?」という問いに「現代アートとは、奇妙なもの」と答えていました。


道端に落ちているゴミ屑に有名キュレーターが、崇高なコンセプトをつけるとたちまち現代アートになってしまうのです。そういうアートも美術館で鑑賞するには、非日常的で面白いと思います。ただし、日常の生活の中では美術館のようなスペースがあり、そこで楽しむ分には良いのですが、通常の生活の中に不浄なものを置くことは魂を汚してします。


なぜ、日本人には清めるという心がけがあるのか?子供の頃、祖母には床、トイレ、階段、ガラス磨きを徹底気にさせられました。床は角の隅々まで、ガラスは斜めから見て拭きムラがあるとやり直しです。追い打ちをかけるように母もさらに綺麗好き。ガラス食器や銀食器磨きを手伝わされました。


親元を離れ、途中、大人になって、多忙な日常に追われ、そんなこともすっかり忘れて散らかし放題で怠惰な生活な時もありました。


でも、最近、祖母と母の躾が蘇ります。毎日とまではいかないけれど、休みの日にふと気がつくと、とことん掃除している自分がそこにいます。


そして、生活の周りのものを清めると身も心も清らかになることに気付きます。どんなに高級なブランドものに身を包んでいても普段の生活に対して美意識がなければ、品格がないような気がします。使い込んだ傷やかすれは歴史を物語るけれど、汚いものはやはり汚いのです。


だから、僕の中では芸術と美術は違うものと捉えています。芸術とはエンターテイメント、すなわち芸事。美術とは、エレガント、リファイン、すなわち雅な事であると解釈しています。ある西洋の数学者が言った言葉、「美しくないものは、何かが間違っている」なぜ、清めるか?の問いに対して明確な答えは未だ見出せないけれど、ここに答えがあるような気がします。美しいものを見たり触れたりすると心が清らかになる気がしませんか?



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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:42 | コメント (0)

地中海美術館のジェームズ・タレル

Art & Design

2月に直島の地中海美術館へ行ってきました。


そこで、一番印象深かったのは、ジェームズ・タレルでした。
東京へ戻って来てから、あの不思議な体験を思い出すので、記憶が薄れてしまう前に記録に残しておこうと思う。地中海美術館は、撮影禁止なので記憶辿って描いたスケッチなので、どこまで正確かわからないけれど、そこは大目に見てください。


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タイトルは、Open Fieldで2000年に制作されたものです。この作品の部屋に入る時は、入場制限があって部屋の外で並び、しばし待たされる。鑑賞者の入れ替えのアナウンスがあり、その部屋に入ると黒い階段があり、そこを上がっていくとさらに小さなブルーの光に包まれた空間がある。その空間をゆっくりと突き進んでいくと、影がない不思議な空間に浮遊しているような感覚に襲われる。


大学時代に知覚心理学の学士号を取得し、芸術修士号も取得している。アメリカ航空宇宙局の研究員を務めたり、アートと科学分野の実験を行ってきた。タレルは、光という素材に知覚を媒体にして作品を作るそうだ。人々は、日常の中に光を感じて生活をしているけれど、夢や神秘体験の中にも光を知覚するというのだ。


タレルの父は、航空エンジニアで、タレル自身も飛行機の操縦免許を持っており、自ら軽飛行機を操縦する。そして、上空でエンジンを止め、気流に任せて空を漂うソアリングというのを体験する。上下左右の感覚がなくなり、視覚的重力から開放され、静けさの中、大きな光に包まれていることを感じる。その話を本で読んでから、この体験をしたので、まるで青いそれの上空で浮遊しているような感覚だった。


タレルは、「夢の中で見る光は、どこから来るの?」という課題を発するらしいけれど、ここでその体験ができるような気がする。




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投稿者 hidetoshi shinohara : 14:57 | コメント (0)

直島

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高松滞在の2日目は、直島の地中海美術館へ。
高松港から、フェリーに乗って直島に着くと、船の中から草間弥生のオブジェが見えます。島全体が、アートのオブジェがところどころにあり、遊び心がいっぱい。


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高松に来てから、寒くてずっと調子が悪く、この日も直島行きをどうしようかホテルで様子見だったもので、少し出遅れた。直島もすごく寒かったけれど、その分すごく空いていて良かった。きっと、暖かくなってきたら観光客もいっぱいで混雑し、並ぶ作品も出てくることでしょう。


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午後に到着したので、地中海美術館とベネッセ美術館に絞って大急ぎで回ってきた。帰りのフェリーの最終便に間に合わせて港に戻らなくてはならないから。でも、すごくいいところなので、また暖かくなったらまた来ようと思い、下調べのつもりで駆け足で観て回った。


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美術館は、撮影禁止なので写真は掲載できないけれど、地中海美術館の見どころは、ジェームズ・タレルとモネの巨大な睡蓮だった。タレルの作品は、金沢21世紀美術館でも観たことがあったけれど、この美術館で圧巻だったのは、光に包まれた大きな部屋だった。入場制限があり、5人ずつくらい部屋に入ると大きな空間へ祭壇のような階段を上がっていく。その部屋に入ると、人の影が一切なく中に浮いているような不思議な体験をすることができる。


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以前、本で読んだことがあるけれど、タレルは若い頃から軽飛行機を操縦し、エンジンを止めて気流に乗って飛行することを体験して、静けさの中、光に包まれた...などいうことを書いてあり、その情景がすぐこの作品の中で感じることができた。これは、言葉で言い表せない。多分、写真撮影でも表現できないだろう。


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ベネッセミュージアムでは、フランク・ステラ、ジョナサン・ポロスキーのオブジェが圧倒的な存在感があった。瀬戸内海にぽっかり浮かんだ直島は、自然を堪能しながら、アートを楽しむことができます。


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投稿者 hidetoshi shinohara : 10:48 | コメント (0)

色の波動

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色彩の勉強をしたことがある人なら、誰もが通る基本中の基本ですが、この世の物質には色がついているのではなく、物質に当たって跳ね返ってくる光の反射なのです。その反射するものは何かというと電磁波という波動エネルギーです。音にも音波、海にも波があり、人間関係にも波長が合うなどと言います。


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小学生の頃、科学の実験でプリズムを使って太陽光をあててみると7色のレインボウカラーが分離されたのを覚えていますか?それが、肉眼で見えるほんの一部の色であることをニュートンが証明しました。


上図のように、人間が知覚できる色は、ほんの一部で380nm(ナノメーター)から780nmと呼ばれ、可視光線といいます。380nmより低くなると紫外線、x線、γ線(ガンマ線)になり、780nmより高くなると赤外線、電波となるわけです。x線は、1pm(ピコメーター、1pm=0.001nm)〜10nm程度の電磁波で、病院で検査するときのレントゲンです。


全ての物質の最小単位は、原子でその周りに分子が回って波動を起こしていると物理の授業で習ったような気がします。(こんな神秘的なことにつながっているなんてことを知っていれば、もっと勉強すればよかった)


人間の肉体も物質であり、その細胞の最小単位は原子であり、そこからも波動を発しているということになります。好きなモノに囲まれ、好きな仲間と愛する家族に囲まれて、幸せを感じる人は、良い波動に囲まれているということになるでしょう。
それができていない人は、逆にそれを利用すれば良いのではないか?つまり、自分の好きな色は何か?好きなモノは何か?一緒に過ごして心地良い仕事は何か?収入よりも好きな仕事をやってやりがいのあることは何か?アートも権威のある人が勧めるモノが良いのではなく、好きなアートは何か?常に考え続けて、スクラップに貼付けているときっと見つかるはずです。そのように発信し続けていれば、きっと良い波動を受信することができるでしょう。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 18:37 | コメント (0)

アダム・ウェストンの見どころ

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今年も銀座で開催された、ニューヨーク出身のアダム・ウェストンの個展へ行ってきました。生命の根幹と宇宙とのつながりをテーマに描いています。彼とは、何度か会って話しているうちにお互いに考えていることが共有できるようになってきました。


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彼の作品を見て、本人のコンセプトとは違う、僕が感じたことを纏めてみました。それは、移ろう色の波動とでもいうのであろうか?現代美術史の中で、このような抽象絵画はイヴ・クラインやマーク・ロスコの流れを汲むと思う。これを抽象絵画と言っていいのかどうか分からないけれど。(マーク・ロスコは、自分の作品を抽象絵画と特定の枠の中に入れられることを嫌った)


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80年代、池袋西部美術館でイヴ・クライン展を見た時に衝撃を受けたものだ。イヴ・クラインは、ほとんどの作品がブルーの色使いで、キャンバスに海綿を貼り付けたり、裸の女性モデルにブルーの絵具を塗り付け、それをキャンバスに転写したりする。自らインターナショナルクラインブルーという顔料まで作って、美術館で小瓶に入れて販売していた。

イヴ・クラインにとってのブルーは、生まれ故郷のニースの海岸で見た青空の色、そして、宇宙の根源的エネルギーに直接結びついている色なのである。当時、グラフィックデザイナーになりたての僕は、プロという現場で右往左往している頃だったが、削ぎ落とすという考え方を目の当たりに見て、目からウロコが落ちたものだった。でも、この削ぎ落とすという考え方、実は日本的だったことを後になって気づく。それは、尾形光琳に代表される琳派である。


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アダム・ウェストンの作品は、このマーク・ロスコの朧げな移ろいの色使いと、イヴ・クラインのブルーに固執した様々なテクスチャーの実験表現、また、日本の技法であるレイヤーをミックスしたような流れを汲んでいると思う。アダム・ウェストン自身は、この二人の作家から影響を受けたかどうかは、定かではないけれど。彼に作品テクニックを聞いてみると、キャンバス上にジェッソでテクスチャーを作り、その上に色を塗ってその表面を拭き、何度もその作業を繰り返し、納得の色彩に達した時が完成なのだそうだ。


西洋美術史の中では、このような色の面の積み重ね、レイヤーという例はあまりない。日本では、王朝時代の着物十二単など、まさにレイヤーである。または、和紙の色紙をちぎり絵のように切り貼りしていくレイヤーにも似ている。北斎は、パースペクティブではなく、レイヤーを使って遠近感を出している。


アダム・ウェストンのお父さんは、アダムが小さい頃、東京の銀座でアトリエを持ち、作家活動をしていたらしい。アメリカに帰るときは、カッパの置物や、北斎の印刷物をお土産に買って来てくれたという。今では、この世にいない父親の幻影を求めて、毎年、銀座で個展を開催するのも、どこかで父親の波動と響き合っているような気がする。


そんな因果関係が、アダム・ウェストンに移ろいの色彩を与えたのだろうか?会期中、アダムに教わった「新朦朧主義」の話が興味深かった。この朦朧という言葉に清少納言の枕草紙の冒頭「春はあけぼのやうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」を思い出す。
アダム・ウェストンの作品に表現されている朦朧としたぼかし、霞、むら、などは、日本人のDNAに染み付いているものかもしれない。

次回は、色の波動について語ってみたいと思います。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 15:21 | コメント (0)

リリアン バスマンの写真展

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先月、銀座シャネル・ネクサス・ホールでリリアン・バスマンの写真展へ行ったきた。バスマンは、1948年にファッション誌のハーパース・バザーの写真家としてスタートする。女性が女性のモデルを撮ることのメリットもインタビューで語っていた。ヌードを撮っても写真家が女性なので、モデルも羞恥心もなく安心してリラックスした状態で撮影ができるそうだ。


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以前、広告の仕事をしていたとき、外人モデルを撮影しているフォトグラファーがモデルに怒鳴りつけていたことがある。僕は、モデルの表情を最大限に引き出すためにスタッフと一緒に誰よりもスタジオ入りしたものだ。なぜかというと、現場の空気がリラックスしたものでないとモデルの表情やポーズが硬くなってしまうからだ。


僕たち現場スタッフは、みんなでモデルを見ているけれど、モデルから見えているのは、怒鳴り散らしているフォトグラファー、そのアシスタント、アートディレクター(これは僕)、僕のアシスタント、スタイリスト、スタイリストのアシスタント、ヘアメイク、スタジオマン数名、そして、腕を組んで眉間にシワを寄せ難しい顔をしているクライアント数名が見えているはずだ。こちらが、みんな笑顔でいればモデルだって自然と笑顔になる。と、いつもそう思っているのだが、現場の空気を壊す人がいる。生身の人間を撮るとはそういうことだと思うのだけれど。
バスマンの旦那さんもフォトグラファーで、若い頃は彼女のヌード写真を撮っていた。だからこそ、モデルの表情の引き出し方を知っているのかもしれない。


それにしてもどの作品も洗練されたモノクロームの美しさと、大胆なポーズと構図が絵画的だった。バスマンは、大好きな写真家の一人で写真集も持っていたので、今回、オリジナルプリントを見ることができたのは大変な収穫だった。当たり前だけど、やっぱり、写真集で見ているよりも現物は違う。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:42 | コメント (0)

アンディ・ウォーホル様

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神宮前の新オフィスからキラー通りを歩いて、六本木ヒルズの森美術館へ行ってきた。いまさら、ウォーホル論など僕が語らなくても文献がたくさん出ているのでそちらにお任せするとして、僕が影響を受けたことをちょっと語ろう。


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写真は、六本木ヒルズの森美術館アンディ・ウォーホル展入口に展示してあった、BMWレーシングカー。ウォーホルがこの車にペインティングしている映像も流れていた。


ウォーホルの一番好きなところは、作風もさることながらアートをビジネスと捉えていたところである。元々は、ニューヨークで商業デザインからスタートしているので、難解なアートよりも大衆性を取り入れた作風が、あまりウォーホルを理解していない人でも直感的に楽しめる。そして、今までのアーティストはこうあるべきであるという概念をくつがえしたこと。


「アートは、単なる装飾物」などと言ってみたり、シルクスクリーンを分業して作品を大量生産するので、アトリエではなくファクトリーと言ったり。どうすれば有名になれるのか徹底的に分析して、ニューヨークの夜の街へ繰り出し、パーティというパーティをはしごして、有名人の写真の後に必ずあのトレードマークのシルバーのヘアスタイルで、ちらっと写っていたり...そのうちに必ず有名人の後に写っているあの男は誰だ?と話題になったり...そういう、したたかな努力を怠らなかったことがすごく好き。


今回の森美術館でのウォーホル展は、僕が以前からずっと気になっていた「エンパイア」「イート」など、数多くのウォーホル作の映画も上映されていた。
また、毎日の手紙やゴミ、様々なコレクションを箱に入れて保存した、タイムカプセルも展示してあった。この「エンパイア」とタイムカプセルにすごく興味を持っていたので、今回、初めて見ることができて感動だった。以前、読んだ本には、ウォーホルがハンバーガーを制作途中に食べ残したものまで、アシスタントが捨てようとしたことを叱って箱に入れて紐で縛り、その日の日付を入れて保存したという話があった。さすがにそれは展示していなかったけれど、今回の展示会場の解説には、ウォーホルは捨てられない性格だったようなことが書かれていた。


なぜ、そのようなどうでもいい話を覚えているかというと、作家の日常の行動や言動から、作品の裏側を知りたかったからかもしれない。


30年以上前には、すでに「アートは、単なる飾り物」という言葉を残すことがすごい。VIGLOWAに売り込みに来る日本の作家の中には、自分の作品を「インテリアアートとは何事だ!」という人もいるけれど、ウォーホル程の独自性を生み出してもいないのにプライドだけが先行していまっているような気がする。僕は、インテリアアートとは、言っていない。インテリアに合うアートと言っている。インテリアとは、「室内の」という意味なのだから部屋に飾るアートのことである。ウォーホルはすでに単なる装飾物とまで言い切ったことが潔くて好きだ。


ウォーホルは、語っても語り尽くせないくらいだ。最後に僕が一番影響を受け、アイデアに行き詰まった時に勇気を与えてくれる言葉を紹介しよう。「全てのものは、アートになる」



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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:38 | コメント (0)

これは、写真か?

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アンドレアス・グルスキーを例にアートとしての写真を考えてみる。キュレーターが解説していることとは違う視点で考えてみた。国立新美術館でアンドレアス・グルスキー展が開催されていたとき、同じくアメリカン・ポップ・アート展も開催されていた。アンディ・ウォーホルの代表的なキャンベルスープをリピートしている作品がメインビジュアルとして使用されていた。グルスキーとウォーホルが同じ美術館で展示されていることになんとなく気になっていたのだが、やっと共通点に気が付いた。


ウォーホルは、大量消費社会の大衆性や身近なモノをリピートしてシルクスクリーンで生み出した。グルスキーの一部の作品にもリピートされているものがある。これは、ポップという概念とは違うかもしれないけれど、夥しいほどの羅列がウォーホルとは違う静寂性を感じさせる構成になっている。シルクスクリーンのざらついたリピートと、写真プリントのつるっとしたリピート。その質感の違いはあっても、リピートという手法に共通点を感じたのである。


ある写真家は、水平垂直が曲がっていてもそれを「真実として良しとする」と言う。アートとしての写真は、撮影後に作家のイメージ通りに絵を作り込んでいく作業を加える。カメラメーカー大国の日本人写真家の多くは、カメラの性能を最大限に発揮しなければならないようである。それにしてもこんなにカメラメーカーが多い国も世界中見渡しても珍しいのではないだろうか?


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アンドレアス・グルスキー/大判カメラで撮影して、撮影後のレタッチなしではこれだけの水平垂直を維持することは難しい。


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アンディ・ウォーホル/あの有名なキャンベルスープ。こちらは、一点のキャンベルスープの写真をリピートさせた版を作り、シルクスクリーンで印刷する。


それはさておき、前回に引き続き、これは写真かどうか?ということについて。グルスキーは、レタッチ、すなわちコンピューターによる画像処理を多用している。大判カメラで撮影したフィルムをスキャニングしてパーツを組み合せて、実際にはない風景を絵として完成度を高めていく作業をしている。真実を写すことを写真と言う人は、これを写真と認めるのかどうか?


10年以上前にローマで撮影したコンタックスの35mmフィルムカメラで、僕自身が撮ったもので実験してみた。


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篠原英智/これは、フィルムカメラで建物を下から仰いで撮影した最初の画像。

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篠原英智/上の元画像をスキャナーで取り込み、水平素直を直し、電線を一部消して左右のレンガまでレタッチで描き加えている。


この窓のある古い建物は、下から仰いで撮影しているので、パースがかかっている。それをあたかも真正面から見たような絵にしたかったので、コンピューターで水平垂直を整えた。グルスキーもこれをやっているようだ。そうでなければ、上記の例に挙げた作品は、カメラだけで、修正なしであれだけの水平素直を出すことは不可能である。これは、写真といえるのか?それともこんなものは写真じゃないといわれるのか?つまり、真実を写す写真ではなく、カメラという画材を使った絵画なのである。くしゃくしゃにした紙にタイトルをつけて、現代アートというくらいなのだから、アートは何をやってもいいのだと思う。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 19:06

JACKSON POLLOCK

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今月、ジャクソン・ポロック展へ行ってきた。画家には、大きく分けて2つのタイプがある。ひとつの作風を一生涯ずっと突き詰めていくタイプ。もうひとつは、常に新しいスタイルを模索し続けるタイプ。ポロックは、後者である。


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もともとは、彫刻家になりたかったというのは、意外だった。アクションペインティングの代名詞とまでいわれるジャクソン・ポロック。画面を均一にオートマチズムという手法で覆っていくオールオーバーな構成である。絵の具を垂らしたり、筆に絵の具をつけてスプラッシしたり、自由奔放な表現である。


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20年以上前にN.Y.MOMAで初めてこの絵を観たとき、ベンチに座って何時間もじっと眺めていたものである。この頃から、抽象絵画はどうやって見るのかではなく、何を感じるのかということを体感した。


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難しく考えることもなく、意外とノートの表紙や食器にペインティングしたりしてもおしゃれな感じになる。色を抑えたブラックなアクションペインティングなんかが好きだ。


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ポロックの時代にキャンバスを床に置いて描く画家は珍しかったようである。その質問に対して、「東洋では床に置いて描く技法がある」と言っているように確かに書道は床に和紙を置いて描く。アクションペインティングの評価がピークを迎えたとき、突如、日本の書のように白地をたっぷりと生かした黒の世界でミニマムな表現に走ったがあまり評価されなかったようである。でも、この頃のミニマムな表現は、何か東洋的なものを感じて親しみを感じた。


古典の芸術家達は、対象をキャンバスに再現した。現代のアートは、機会のテクノロジーによってそれをする必要がなくなった。よって、ポロックのような抽象絵画は、絵筆をキャンバスに直接ふれるのではなく、内面に持っている感情を流動的な塗料を使い、空間を飛び交う手法を使った。絵画の歴史のプロセスを切り開いた作家だと思う。今では、この技法は当たり前のように使われている。当時はどんな反響だったのだろう?いつの時代も新しい表現が世に出ると否定的な意見を言う人がいるけれど、常に自分の垣根を取り払い心の目で芸術を見る目を養わなければならないと思った。
東京国立近代美術館内にミニチュア版で作られた、ジャクソン・ポロックの納屋を改装したアトリエがあった。20年振りに再会した原画を見たあと、そのアトリエにしばらく立ち尽くした。汚れた床、それ自体が作品のようであった。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:55 | コメント (0)

絵画の見方

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松田奈那子の企画展が開催した。出会いは、一通のメールから。作品の見せ方、メールの文章の書き方が気になり、作品を見てみたいと思わせてくれるその一人が、松田奈那子だった。すぐに返信して、お会いしたい旨を伝えた。会って、すぐに何か同じルーツを感じた。作品から、どんよりと北の日本海の冬空を思い浮かべたからである。だからといって、けっして暗いわけではなく、大都会の派手さがあるわけでもない。虚栄心もなく、ごく自然体の人柄に好感が持てた。会って、1時間もしないうちに、僕の方から当ギャラリーで「企画展をやってみませんか?」と申し出た。すぐに二つ返事をいただき、実現に至った。


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夜になり、一人で作品と対峙していると、この作品から東欧の作家の雰囲気が感じられた。本人に実際のところ誰に影響を受けているのか聞いてみた。長新太、荒井良二、レオ=レオニ、ブルーノ・ムナーリ、ディック・ブルーナ、ベアトリーチェ・アルマーニャが好きだそうだ。特にベアトリーチェ・アルマーニャの「カール・イヴー」は、内容よりもとにかく絵に惹かれるという。でも、一番影響を受けたのが意外にも長谷川等伯の松林図屏風だそうだ。特別、東欧の影響ということではなかったけれど、いろいろな作家の影響を受けながら、うまく自分のルーツを作品に消化させていると思う。


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絵画の見方を良く聞かれるけれど、見方が分からない方は「どう見るか?」ではなく、「何を感じるか?」を意識した方が良いと思う。専門的に勉強するのであれば、古典絵画の図像学から学び、現代アートの思想やインスタレーションということまで膨大な量の勉強をしなければならない。それよりも直感的に好きか嫌いか、自分の部屋に飾って心地良いかどうかをイメージするのが良いのではないだろうか?部屋に飾った絵画から、「元気をもらいたい」「落ち着きたい」「異次元へ空間を演出したい」など。僕が自分の部屋に飾るのであれば、松田奈那子の作品から決して絵だけが主張するわけではなく、落ち着いた色味で、「ちょっと非日常へ連れて行ってくれる」そんな不思議な世界を感じる空間を作りたい。

松田奈那子 絵画展Crackの情報は、こちら。http://www.viglowa.co.jp




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投稿者 hidetoshi shinohara : 00:20 | コメント (0)

金沢21世紀美術館 Olafur Eliasson

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先月、金沢21世紀美術館へ行った。僕は、現代アートについて特に詳しいという程でもないけれど、美術館の前に展示してあるカラー・アクティヴィティ・ハウスという作品に興味を持った。


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以前、当社に訪れたある人が本棚にあるマーク・ロスコやイヴ・クラインの画集を見て「これらは、どう見ていいのかわからない」と言っていた。


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僕は、これらの抽象絵画をどう見るかではなく、どう感じるかということだと思っている。頭で考えるのではなく体感すればいい。まさにこの体感するアートがここにあった。オラファー・エリアソンというコペンハーゲンの作家が表現しようとしていたのは、日々、当たり前に目にする風景を光の三原色の渦巻状の円柱に入ることによって、いつもと違ったカラフルな景色が見えてくることだった。作品の中心から様々な角度へ周囲を見渡すと、色が混ざり合って紫に見えたり、黄緑に見えたり、オレンジに見えたり、筒状の透明アクリルが重なり合って奥行きのあるカラーリングを楽しませてくれる。


もうひとつは、作品と言うよりも美術館にあるエレベーターだった。ホールから下を見下ろすと、透明の箱が上へ浮かび上がってくるように見えた。どうなっているのだろうと思って、階段で降りてみると何のことはない、エレベーターの箱をシャフトが押し上げているのだった。カラー・アクティヴィティ・ハウスを観たあとだったので、これもアートかと思った。いや、これもアートと言ってもいいのではないか?アートとは、日常的なことを非日常的な驚きに変えてくれることであると思う。


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気難しく考えらさせられるアートよりも見る者を参加させてくれるアートだった。


Colour activity house(カラー・アクティヴィティ・ハウス)についてはこちら。
http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=30&d=10

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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:32 | コメント (4)

金沢主計町茶屋街で見つけたクリフトン・カーフ

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金沢3大茶屋街の主計茶屋街を歩いた。「かずえまち」と読む。ひがし茶屋街から歩いて数分、浅野川を渡った川沿いにひっそりと佇んでいた。浅野川は、加賀友禅流しを今でも行っているらしい。ひがし茶屋街のように、観光客で賑わっていないけれど、その静けさがとても風情がある。この川にかかっている橋は、泉鏡花の「照葉狂言」の舞台になったところでもある。


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裏道に入ると庶民向け遊郭跡が残存していた。狭い路地裏を入ると怪しい遊郭街がある。旦那衆が人目を避けてこの坂を抜け、主計町とひがし茶屋街へ通ったという。


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その坂は、暗がり坂といい、階段を一歩上ろうとしたとき、その手前にギャラリーらしきものがあった。がらがらっと、引戸を開け「こんにちは〜」と入ってみた。奥の方から男性が、「いらっしゃい、今日は暇なのでゆっくりと見て行ってください」気さくに声をかけてくれた。平日だったので他にお客さんはいなかった。そこは、アメリカ人版画家が戦後日本の美しさに惚れて、生涯住みついてしまった、クリフトン・カーフのギャラリーだった。数年前に他界したカーフの自宅とアトリエをそのまま生かしてギャラリーにしたようだ。


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ギャラリーオーナーの香川さんに、親切丁寧に解説つきで作品を見せていただいた。カーフの版画を見て感じたことは、四季色とりどりの美しさ、格子を墨色でくっきりと縁取りして鮮やかな色を調和していることだ。鮮やかな中に落ち着いた色調がなんとも心地良い。それと、もとカーフの住まいだったところをそのまま生かしているこの建物のこだわりがすばらしかった。やはり、良いモノを作るには、良い環境をということを実践した作家だった。自らの生活がアートのように思える。


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日本人よりも日本の良さを愛してくれたアメリカ人。最期は、癌で余命4ヶ月の宣告を受け家族や親しい友人達に励まされて過ごしたという。日本人がもっと自ら自国の美しさを認識するべきであると思った。
アートギャラリーKARHU COLLECTIONは、こちら。
http://cw-karhu.jp/index.html



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投稿者 hidetoshi shinohara : 21:10 | コメント (0)

ホワイト

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白という色は、ある意味究極の色と言えるかもしない。


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白は無垢の色。白は純潔の色。白は雪の色。白は雲の色。白は子供の頃、飼っていたスピッツの色。白はビートルズのホワイトアルバムの色。僕の白の思い出はこんな感じ。


白は、全ての色を調和する色でもある。グラフィックデザインのレイアウトをしていて、最後配色に悩んで何案も試作を作っているとき、白に立ち返るとすきっと答えが出る場合がある。たくさん色を使い過ぎて、または、どうしても要素が多過ぎて、画面上とっち散らかってしまった場合、最後に白を持ってくると全ての色を調和してくれる。紙媒体の多くは、白い紙に印刷することが多いので足し算で考えていくと、通常の4色プロセスの場合シアン、マゼンタ、イエロー、ブラックだ。頭で配色していると白というインクの発想がない。ところが、引き算で考えていくと、紙の地色を生かして配色していくことができる。


ビートルズのホワイトアルバムのデザインは、どうして白にしたのだろうか?それまでは、サイケデリックの真っ盛りで、派手なジャケットデザインが主流だったのにその逆をやった。常に他とは違うことをと思っていたのかもしれない。それでいて、外さないところがすごい。何でも、時流に乗らないで逆をやれば新しいかというわけでもない。逆をやって、その時、見た人達にその手があったのか?と思わせることが大事だ。それじゃないと独りよがりになってしまうからね。


デザインは、音楽と同じようにオーディエンスを意識して作られるべきだと思うので、その判断が非常に難しいところだ。ホワイトをさりげなく使いこなすのは、高度なことかもしれない。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:23 | コメント (0)

紙の温もり

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DMのデザインをしていて、紙選びに悩んだ。僕が選んだのは、リバーシブルマーメイイド。表がセルリアンブルー(ターコイズブルーのような気もするけど表示はセルリアン)で裏がアイボリーだ。


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この表裏の組み合わせがとても爽やかな感じがした。なんだか春の訪れを感じて直感的にこれに決めた。マーメイドのざらつきが手に取ったとき、とても心地いい。


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今までのグラフィックデザインは、紙媒体の印刷物がメインだったので紙の質感が最後には決めてとなる。デザイナーは、印刷の知識はもちろん、タイポグラフィー、写真、イラストレーション、紙質、特殊印刷加工、コストなど、ありとあらゆることを知っていなければならなかった。特に印刷の色味は、紙質に左右される。黒が締まって見えるか、柔らかく見えるか?シャープに仕上がるか?ソフトに仕上がるか?デザイナーは、瞬時に紙質を決定できなければならなかった。


少しずつ、紙媒体が減ってインターネットに変わっていくとしたら、このような手触り感は求められなくなるのだろうか?何でもつるっとしたモニターで解決してしまうなんて、とても寂しい。これからの若い人達は、恋愛もモニター上で済ませてしまうなんてことがなければいいけど。


彼女と大事な話をメールだけで済ませてしまうなんてことも聞いたことがある。面と向って話合うことができなくなってしまうのではないだろうか?そんなことにならないためにもこういう紙の感触を味わってほしい。


たとえ、電子書籍が主流になったとしても、紙でできた書籍も残ってほしい。あの紙とインクの臭い。子供の頃、新しい本を買った時は、そんなことにときめいたものだ。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:37 | コメント (4)

スイスのデザイン

Art & Design

神田にある竹尾の見本帖本店ショールームへ行ってきた。


2階のギャラリーでスイスのポスター展をやっていたので観て来た。いつもは、スタッフに紙を買いに行ってもらっていたけど、今日は雨の中てくてくと自分の目で紙選びをしてみようと思った。


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ギャラリーでは、90年代にMacがデザイン界に浸透し始め、日本ではみんな模索していたころに活躍していたスイスのグラフィックデザイナーだった。ちょうど、バブルが弾けて、僕は無謀にも周囲の反対を押し切って会社を飛び出した。上司からは「今、辞めるのは辞めろ!本当に大変な時期だから」と言われたにもかかわらず、死ぬ気でやればなんとかなると脳天気に2ヶ月で会社を設立した。ところが、仕事はなかった。独立前に紹介を約束していた友人、知人に電話をかけまくったけど、ことごとく断れた。世の中、そう簡単に人の言葉を信じていけないことを痛感した。


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毎日、途方に暮れて、本屋通いをしていたとき、「こんな表現があるんだ?」と洋書を大量に買いあさった。当時の日本でデザインは、Mac病と言われるくらい一辺倒だった。そこには、スイスらしい構成主義とタイポグラフィのこだわりがあった。どうせ、仕事がなかったのでスイスデザインの模倣をして、自分の表現に吸収しようとしていたころだった。


いつの間にか仕事が忙しくなり、あのときのデザインに対するときめきがなくなっていった。このギャラリーのポスター展を観てまたなんだか魂を揺さぶられた。特にウォルフガング・ワインガルト、ウィリィ・クンツ、エイプリル・グレイマンの名が懐かしい。そして、とにかくかっこいい!



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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:33

社会保険労務士さんのロゴデザイン

Art & Design

珍しいロゴを採用していただいた。


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僕は、いつもデザインするうえで自分に言い聞かせていることは、「どうせ、こんなものだろう」と思わないこと。もちろん、求められていることをしっかりと把握しなければならない。一番求められていることをA案とすると、プラスαの提案をするのがB案。そして、独自の提案をC案とする。大きく分けて、この3方向を提案する。何十案、何百案デザインしようが、必ずこの3つのグループに分けて、この順番でプレゼンする。この3つの中でさらに分類はするけれど。


今回、社会保険労務士の浜口さんのロゴデザインを制作した。いつもの通り、3方向を提案し、C案はまずありえないだろうと思った。ところが、C案に決定した。意外にも浜口さんは他の何十案も目もくれず、この案に反応したのだった。デザインコンセプトは、「経営者と従業員の風通しを良くする役割を果たす。ロゴの目的は、誠実な職種と見た人に夢と希望を与え、浜口さんの人柄を表すパーソナル・アイデンティティーとなる。」ということだったので、風とか、砂とか、海とか、ヨットの帆とかを最初考えていた。


C案は、経営者と従業員がお互いに共存し合うイメージを思い浮かべた。ボブ・ディランのLike a Rolling Stoneのように。曲の内容とは違うけど、まるで転がる石のように...上流から下流へ石ころが転がってきて、角が取れて丸くなっていくようなイメージをデザインしてみた。事務所の「浜風」という名にちなんで、砂浜の丸い石ころをイメージした。


浜口さんに以前、当社の就業規則を作っていただいた時、僕は、「従業員」という言葉を全部「スタッフ」と言う言葉に変えてもらった。それは、「従う」という文字が嫌いだったからだ。会社は、働くスタッフのお陰で成り立つ。だから、上下関係というよりも共存なのだと思う。だからと言って、逆転するのも困りものだけどね。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:49 | コメント (0)

ターコイズブルー

Art & Design

黄金岬の海の色は、潮の流れによってターコイーズブルーになる時がある。僕が勝手に名付けた「キラキラの丘」から見た真夏の光景は絶妙だ。


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ここは、北海道の留萌市にあり、黄金色に輝き夕陽は日本一美しいことで有名だ。僕が中学2年の時、父の転勤でこの見知らぬ土地へ転校してきた。


今から36年も前のこと。よそ者の僕は、「なめられてはいかん!」と思い、上目使いで人を睨みつけ、威嚇していた。本当は、ジョークを言ってみんなを笑わせるのが大好きだった。クラスの中では、いつもギャグを言ったり、特徴を捉えた似顔絵を描いてみんなを笑わせた。教科書の端にはパラパラ漫画を描いたりもした。


クラスの女の子の中に、僕のパラパラ漫画を心の底から可笑しそうに笑う女の子がいた。ある夏の午後、男女4〜5人ずつで集団デートをした。その中に僕のお目当ての子がいた。あまりにもまぶしく、まともに顔を見る事ができなかった。恋というにはあまりにも幼過ぎた。


都会のように遊ぶところなんか何もない。みんなで歩いて、黄金岬まで行った。今では、見晴らしのいい丘には「ふるさと館」という施設ができて、駐車場に木の柵ができていたけど、当時は、何もない草むらのただの丘だった。


そこから見た、真夏の午後の黄金岬の海岸は、マリンブルーとターコイズブルーが入り交じった美しい色をしていた。午後1時。太陽は真上に登り、その丘からは、反射角と入射角が絶妙なバランスで海面をキラキラと反射させていた。辺りは何もなく、日本海からの冷たい潮風が、丘の草むらをそよそよとなびかせているだけだった。僕は、勝手に「キラキラの丘」と名付けた。


夕陽もきれいだけど、僕が一番好きな光景。いつかまた、真夏の黄金岬を見てみたい。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 21:41 | コメント (0)

菜の花色

Art & Design

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。


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住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。(夏目漱石の草枕から)


と、この物語の中で、青年画家が山道を歩きながらつぶやく。この物語では、世界が現実味のない、夢のような幻想的な絵のように描かれている。その青年画家が歩いている山道は、「しばらく平で、右は雑木林、左は菜の花が続く」とある。


今日の東京は、ちょっと春の陽気だった。春の訪れを感じながら、菜の花を思った。青年画家は言う。「春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、人間は借金のあることを忘れる。時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる。」


僕が高校の時、人間関係が嫌になって不貞腐れていたら、いつもは厳しい父がこの「草枕」の冒頭の言葉をつぶやいて聞かせてくれた。今この言葉が身にしみる。


菜の花の色を見ていると、自分の魂の居所を忘れてしまった。たまには、いいかもしれない。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:05 | コメント (0)

ローズ

Art & Design

それは、「人生はバラ色」という例えがあるくらい、希望をあたえる色。


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生きて行く事は、楽なことではない。人生のゴールという山頂を目指して、一歩一歩、足を前へ前へと踏み出している。このローズカラーを見ると、あの山の向こうには広い平原があって、そこにはバラが一面咲いているようなイメージを抱く。それまでは、険しい岩肌に両手両足を使って、足元を踏み外して転げ落ちないように、しっかりと歯を食いしばり下ばかり向いていたのが、頂上に辿り着くと辺り一面がバラの園があることを想像してみた。


何気なく、このページを見てくれた人に少しでも希望を持ってもらえればと、ふっと思いました。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 12:05 | コメント (0)

アンバランス

Art & Design

ボツ案のキャラクターを蘇らせてみた。


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ある企業のキャラクター達を提案したけど、ボツになった。テーマは森の仲間達。その中のひとつにアンバランスというキャラクターを考えた。ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」とピーター・マックスのビートルズの「イエローサブマリン」にインスパイアーされた。


現実の世界にもこういうアンバランスな人がいる。その特性を極端にデフォルメして誇張してみた。外見と内面が全く違う人。外見は、イケメン、イケジョ(?)なのに、話してみると印象とまったく違う人っているでしょう?そう、そんな人をシンプルに表現してみるとこうなった。ここで言っているのは、いい意味でのアンバランス。


たとえば、見た目は美しくて高嶺の花のような女性がいるとする。その人は、とてもじゃないけど、僕なんかを相手にしてくれないと思っていた。僕は、いつも柱の陰から顔を半分隠し、遠くから目で彼女を追っている。


ある日、たままた話をする機会があった。意外と気さくだということに気付き、今度一緒に会うことになったとする。そして、だんだん親密なり、気心がしれてくれる。一緒にいる時の会話が面白おかしく、見た目と全然違うことに気付く。でも、その見た目とのギャップがとてもアンバランスで魅力的な人っていないだろうか?


実は、何を隠そう、僕もその一人である。見た目と中身のギャップが激しくすぎると言われる。そんな人に出会うととても親近感を感じる。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:03 | コメント (4)

弱さはつねに過激である

Art & Design

スチール製のフォンタナの絵を見つけた。


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フォンタナといえば、白いキョンバスをナイフ切り裂いた、究極のミニマムアートが有名だ。ナイフという、一歩間違えば人の命さえ奪ってしまう凶器に、切り裂かれた白いキャンバスはどこか繊細で脆さを感じてしまう。ナイフを振りかざす時に、スッという音が聞こえてくるようでもある。


それに較べ、この絵は鉄板を鋼鉄のナイフで切り裂いた痛々しい絵である。本当は、ナイフという凶器を美化した白いキャンバスよりも、この鉄板を切り裂いた表現の方が、人間の本来持っている原始の感覚をうまく表しているのではないだろう?


この絵と対峙した時、顔で笑っていても自分の内面を見透かされたような感覚におそわれた。「人のためだ、世のためだ」といっていながら、実はジェラシーで、はらわたが煮えくり返りそうな時がある。


フォンタナが目指したのは、原初の人間がもつ不可解な感覚である。何か自分では理解不可能なことに直面した時、音楽的な感覚、リズムの感覚、それらの条件を発展させていくことが目的だそうである。


現代社会においても頭では分かっているけど、心の底からメラメラゴーーーー、と何かに突き動かされることが誰にでもあるに違いない。理性ではなんとか押さえ込もうとしても、どうにもならない。それが太古から持っている人間の感覚なのであろうか。


この絵の切り裂かれた部分は、人間の心臓をえぐり出そうとでもしているはずなのに、どこか感情がリズムとハーモニーを奏でているとでもいいたげな表情だった。僕自身、思慮深い大人のつもりであったが、実は原始の人々となんら変わらない感覚も持ち合わせいる自分に正直驚いた。松岡正剛の「弱さはつねに過激である」という言葉がぴったりである。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:27 | コメント (6)

東京駅のドールハウス

Art & Design

プレゼンの帰り、東京駅の構内を通過した。


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そこで、見つけたイオン化粧品のブランドワールドディスプレイ。ドールハウスで化粧品の世界がディスプレイされていた。細部にわたり、よくできているんだな、これが!


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もともと、ドールハウスは19世紀ヨーロッパの中流階級の市民層で、女の子に与えられた玩具である。大人達の静かな生活を妨げないために、屋根裏部屋にあてがわれた子供部屋でおとなしく遊ばせておくものだったらしい。


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1924年、イギリスのメアリー女王に贈られたドールハウスが1/12縮尺だったことから、このサイズが標準とされている。このイオンのディスプレイは、スケールは定かではない。



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最後の写真の鏡には、東京駅構内を行き交う人々と、カメラを構えている僕の姿が映っている。そういえば、子供の頃、隣の直子ちゃんと紙でできているドールハウスで一緒に遊んでいた僕は、急に怪獣になり切って踏みつぶしたことがある。(懺悔)

あの頃、ドールハウスを見ても何も感動がなかったなあ〜。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 13:10 | コメント (12)

これが、ブランドだ!

Art & Design

僕が、愛用しているLoweproロープロというカメラバッグ。
ファスナーが壊れたので修理に出したところ、新品と交換してくれた。


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そんなロープロのひとつで、大型キャリーバッグを持っている。これもカメラバッグなのだが、中にはさらにインナーバッグがあり、仕切りの多いカメラ用のインナーを外すと旅行用のキャリーバッグにも使える。空港で荷物を預けたら、外側の小物入れのファスナーが取れて壊れていた。購入店へ修理を依頼したところ、メーカーから本体まるごと交換して送ってくれた。保証期間はとっくに切れていたので、僕はとても感動した。

10数年前、アメリカ人の著者で「一回のお客を一生の顧客にする法」という本を読んで、これがブランドだと、ずっと思っていたから。仕事でも単に広告やデザインがいいだけではなく、消費者の視点から考えていくことをいつも提案しているのだが、本気で実行に移してくれる企業はほとんどない。今でも、広告やパンフレットのデザインを頼まれても、僕は、いつもブランドとは何かを熱く語る。でも、ブランディングという言葉が流行っているわりには、ほとんど理解されない。

消費者は、価格よりも大事なものを求めているというのに、企業は未だコストにこだわる。6〜7万円のバッグは、決して、高級ブランドとは言えないかもしれない。でも、このロープロという企業は、コストを優先せず、お客さんに感動を与えてくれた。

莫大な広告費をかけるより、こんなきめ細かな感動を与えてくれれば、きっとそのブランドのファンになるだろう。現に僕がそうであるように。世界にこんな感動を与えられた人がたくさんいるとしたら、広告経費よりも遥かにコス削減になり、将来的な収益となるに違いない。多くの企業は、ハードにはお金をかけるけど、ソフトにはかけない。成功の鍵はここにあるような気がする。


ブランディングのバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 21:59 | コメント (16)

森の中の妖精

Art & Design

先月、青山のアニエスベーヘ行った。
アニエスベーパルコ店がなくなり、
有楽町マリオンのアニエスベーオムもなくなり、
メンズものを捜しに青山本店へ行った。
心の中では、「どうしてメンズは選択肢が狭いのだ」とぼやきながら。


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服を買うつもりで行ったのにそこで見たのは、不思議な人形達。この秋から再スタートする「アニエスベーロリータ」と「エコール」という映画とのタイアップで、その映画にインスピレーションを受けた人形作家、陽月さんと人形作家であり写真家でもある吉田良さんのコラボレーションということである。

僕は、ロリータの趣味はないけれど、森とか妖精とか、不思議という言葉に惹き付けられるのである。映画のカットシーンとストーリーを写真と人形で展示してあったけど、思わず映像の美しさに見入ってしまった。

奥深い森の中、小鳥がさえずり、さらに奥深い道を進んでいくと、とても美しい、まるで眠れる森の美女のお城のような大きな屋敷がある。そこから地下へと続く道があり屋敷の廊下へと続く。物語は、この外界から完全に隔離された屋敷に6歳の少女イリスが棺の中に入れられて運ばれて来るところから始まる。

ほら、もうおとぎの世界へ旅立ってしまうでしょう。不思議な気分にさせられるキーワード。「奥深い森」「小鳥のさえずり」「眠れる森の美女」「お城」そして、地下へ続く...こわいですね〜。何かが起こりそうですね〜。しかもおきまりの「棺」がでてくると完全なファンタジー。

都会のど真ん中で、時間が経つのも忘れ、あっという間に森の中へ旅だってしまった僕は、あまりにも単純すぎるのであろうか?そうだ、僕はファンタジーが好きだったのだ。子供の頃、よく「ぼーっ」としていると言われたものだ。昔から変わらないのは、僕は空想している時が一番楽しいのかもしれない。


都会のど真ん中で見た、言葉と映像と人形のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 12:17 | コメント (6)

コーディネートを考えない、カーナビデザイン

Art & Design

ある日、突然、ふつうに、さらりと車にカーナビがあったらいいのになあ、と思った。なぜなら、最近、車を変えたから。僕は、車を頻繁に買い替えないで、毎回10年は乗る。いまだにカーナビというものを使ったことがない。いつも、膝の上に地図を乗せて運転しているので、よく道を間違うし、高速では同乗者と話に夢中になっていて、降り損ねることがある。


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僕がカーナビを選ぶときのポイントは、機能性なんかよりもデザインを優先して、イルミネーションとか内装とのコーディネートが重要になる。どうして、日本のメーカーは、そういうことを考えないのかなあ。ソニーのデザインがシンプルで一番良かったけど、カーナビを撤退してしまった。

赤のイルミネーション、2DINタイプのデザインで気に入ったものがないのだ。パイオニアサイバーナビは、ブルーのイルミネーション。パナソニックのストラーダは、ちょっと紫がかったブルー。クラリオンは、水色のようなスイッチ。店頭でいかに受けるかとか、最終的な決裁権は奥さんにあるので、奥さんが好みそうなデザインにしているのではと予想される。

日本の場合、親しみやすさと趣味の悪さを勘違いしているような気がする。銀行のキャッシュディスペンサーや、飛行機のシートについているモニターに映し出されるお姉さんのイラストは、同じような制服、同じようなポーズで両手を前に重ねてぺこりと頭を下げる。

イギリスへ行ったときに乗った、ヴァージンアトランティックのモニターのグラフィックは、かっこ良かったなあ。機内の説明や非常時の脱出のアニメーションなどは、UKロックのグラフィックだった。色使いもビビッドでおしゃれだ。

唯一、デザインが気にいったカーナビは、ケンウッド。シンプルで、かっこいい。だけど、店頭では必ず、「録音機能がついていない」とか、「画質が」とか店員さんに言われるけど、「運転中に誰が録音するんだ」と言いたい。画質が良くたって、テレビを見ながら運転したら危険ではないか。それよりも、運転しながら四季の移ろいに感動するとか、もっと楽しむことが一杯あるはず。

日本のメーカーは余計な機能ばかりつけて、消費者に目新しさ訴求しようとする。冷静に考えたら、その機能の半分も使わなかったりするんだけどね。デザイン後進国日本。物が溢れているのに本当に欲しい物がない。優秀なデザイナーは沢山いるのに、それを採用する企業は数字しか追い求めないような気がする。

プロダクト製品のバッドチューニング。


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投稿者 hidetoshi shinohara : 21:14

ジョッドパーブーツ

Art & Design

ブーツを買った。10数年履いて来たお気に入りのスペイン製ジョッドパーブーツがそろそろ草臥れてきたから。何度もソールを修理して履いたけど、甲の部分が割れてきた。


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この形は、何年も捜していたけどなかなかなかった。今度、見つけたやつは、今までと同じようにウェスタンブーツと違ってシンプルで派手なステッチは一切入っていない。踝のあたりに巻き付けるようなベルトがなんともしゃれている。ジーンズの時はこれがないと決まらない。価格も手頃。

実は、これがジョッドパーブーツという名前だとは知らなかった。ウェスタンブーツは、カウボーイが履くものだが、ジョッドパーブーツは昔、インドのジョドプール騎兵隊が乗馬に用いたことに由来するらしい。どちらも先が尖っているのは、落馬したときに鞍の靴を引っ掛けるベルトに引っ掛かって、引きずられないようにすり抜けやすくするためだとか。

僕は、気がついたら持っている靴の半分位はブーツ系になってしまった。ブーツといってもショートブーツ。夏でも平気でブーツ。よく、「暑くないか?」と聞かれるけれど、暑くない。足首をきゅっと締め付けてくれる感じが、背筋を伸ばし仕事も遊びも戦闘モードにさせてくれる。歩くと、脳が活性化されて思考能力も高まるそうだ。今年の夏は、仕事の合間にとにかく歩いた。

朝、家を出るとき、ちょっと大変だけど。靴ひもで編み上げ式のショートブーツを履くときは、一苦労だ。靴を履くだけで汗びっしょり。玄関で靴と格闘しているとき、妻に「まだいたの?」って言われちゃうしね。外から帰ってきて、トイレに行きたくなったときなどは、もう足はジタバタ、顔から油汗がタラーリ。

何度もこの世の終わりかと思ったことがある。『ふーっ』と一息ついて玄関に戻っていると、なにがあったのかと思うほど、靴が散らばっている。

ジョッドパーブーツは、履き慣れているしベルトのバックルを外すだけ?と思っていたら、革が固くて外れないっ!外れないっ!外れな〜〜いっ!もう、もう、ダメだ。死ぐ〜ぅっっ!&*@/><”$#%

かっこいいものは、機能性がなかったりするんだよね。
それでも、かっこよさを選ぶ、おしゃれのバッドチューニング。

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投稿者 hidetoshi shinohara : 00:43