<< 2015年8月             1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31          

御先祖さま

篠原家の御先祖様は、香川県高松市の隣にある丸亀市であると聞いていました。明治維新で幕府が解体し、丸亀城の藩主、京極氏が廃藩置県後、北海道へ渡り、現在の北海道虻田郡京極町で農場を拓いたらしい。


20150305_01.jpg


そういえば、僕が生まれたのは北海道ニセコの近くにある倶知安という羊蹄山の麓にある小さな町。その羊蹄山を囲んで、細川隆の出身地、真狩町があり、京極町がある。京極の湧き水は、有名で北海道の多くの人は車で水を汲みにくる。


20150305_02.jpg


この歳になって、父といろいろ話をするようになり、元気なうちに戦争中の話や自分のルーツのことも聞くようになった。帰省する度に丸亀の話を聞いているうちに高松からアダム・ウェストンと奥さんの千寿さんが東京の僕のオフィスへ訪ねてきたのである。


20150305_03.jpg


二人に会う度に、うちの祖先は丸亀だという話をしているうちに「いつか、高松に遊びにおいでよ」ということになり、高松へ行くことになったのである。高松滞在の2日目は、直島の地中海美術館へ行った。その話は、後日するとして、3日目の最終日は、アダムと奥さんが車で丸亀城へ連れて行ってくれた。


20150305_04.jpg


四国には知り合いも取引先もなく、まったく今まで縁がなかったのに、何か、御先祖様に引き寄せられたような旅だった。


20150305_05.jpg


丸亀城の上から、丸亀市内を見渡し、きっとここから見えるどこかに御先祖様が生活していたのだなあと感慨に耽っていたのでした。


20150305_06.jpg



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 21:26 | コメント (0)

旅の途中で足袋というバーへ

高松の夜は、すごくおしゃれなバーへ連れていってもらいました。


20150303_01.jpg


入口が狭くて、隠れ家的なお店です。看板が出ていなくて、アダムと奥さんに連れてきてもらわなかったら、多分、見つけることはできなかったでしょう。バーの名前は、「足袋」といい、旅の途中に足袋というバーへ立ち寄った気分です。


20150303_02.jpg


体をかがめて、入っていくと右手に「足袋」のサインが立てかけられていて、さらに奥へと導かれています。


20150303_03.jpg


和モダンの作りで、間接照明がとても心地良い。バーのさらに奥は個室になっていて、プライベート空間になっています。こんな空間で、音楽やアートの話がつきなく、あっという間に時間が過ぎ去っていく。


20150303_04.jpg


アダムとは、共通の話題で盛り上がり、僕が若い頃、ニューヨークの音楽、アート情報をむさぼるように仕入れたのに、彼はそれを原体験しているので、リアルな話が聞けてすごくエキサイティングでした。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 19:33 | コメント (0)

ルーツを訪ねて

2月の中旬、我家のルーツを訪ねて高松へ行ってきました。


アダム・ウェストンと奥さんの千寿さんが、空港へ迎えに来てくれて車で案内してくれた。僕が、高松へ来るまではずっと雨だったり、どんよりした曇空だったり、はっきりしない天候だったようです。


途中、少し雨が降り出し、あまり天気が良くなかったけれど、アダムのお気に入りの屋島にある讃岐うどんで有名な山田家へ。約800坪の敷地に建てられた屋敷と、店内から見える庭園はとても美しく、国の重要文化財にも指定されているそうです。


20150221_01.jpg


美味しい讃岐うどんを食べた後は、アダムの勧めで屋島へ。屋島は、高松市の中にぽっかりとできた小高い山。山の途中、かわら投げというところがあり、5cm位の円盤状のかわらを買って、3人で瀬戸内海へ向かって願いを込めて投げたのでした。


20150221_02.jpg


その後、源平合戦の古戦場史蹟を通り、屋島寺へ辿り着く。ここは、鑑真和上により開創された国の重要文化財。とても静かな場所で荘厳な雰囲気が漂っている。八十八遍路巡りの八十四番目のお寺でもある。


20150221_03.jpg

20150221_04.jpg


車で、屋島の小山を降りていく途中、高松市内を見下ろすと小振りの雨が降っていた空から、雲の間から光が射してきた。こういうのを「天使のはしご」っていうのを聞いたことがる。アダムの奥さんが、「きっと、おじいちゃまが喜んでいるのかも?」と言うので、あまりそういうことを信じない僕も不思議な光に包まれたのでした。


20150221_05.jpg



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 18:41 | コメント (0)

Crack

真冬の石狩湾沿いを車で走ると凍てつくような氷の世界がある。


20120318_01.jpg


20120318_02.jpg


曇り空というのは、通常グラデーションがかかっているものだが、日本海の海空はグレー一色。真冬になるとこんなところ、人、一人として歩いていない。昔、井上陽水の氷の世界という曲があった。なんだか、不思議な内容だったけど、こんなところを歩いてみると異次元世界へ足を踏み入れたような感じがする。


20120318_03.jpg


4月に当ギャラリーヴィグロワで松田奈那子の企画展を開催するが、実はこの写真のイメージが頭にあった。彼女の作品を初めて見た時、心の中の郷愁にすぐにシンクロナイズした。本人に聞いてみると北海道出身だという。しかも日本海側で生まれ育ったようだ。彼女の作品は、まさにこのグレーイッシュなイメージ。テーマは、現実と非現実のすきまの風景だという。僕は、即座にこの氷の世界を思い浮かべた。路面の氷が割れて、そのすきまから非日常の世界へ引きずり込まれようなイメージ。この氷のひび割れをイメージとしてタイトルをCrackとした。


20120318_04.jpg


夏には、海水浴で賑わっていたはずなのに、今は誰もいない。この風景の音を言葉で表現すると無音。それが、ますます不思議な感覚にさせるのかもしれない。この土地のどこかの民家で、暖房がたっぷりと効いていて、むしろ東京よりも部屋の中は暑いくらい。外の気温と部屋の中の気温のギャップも激しい。そして、北国の人々は寒さに反比例して心が温かい。彼女の作品は、グレートーンの中にも温かみがある。この写真を見れば、松田奈那子の作品がなぜ生まれたのかきっと理解できることでしょう。
(実は、最初の2点の写真は、以前ブログでも使用したものです。Crackのイメージに相応しかったので、再度使いました)

松田奈那子 絵画展 Crackの情報は、こちら。
http://viglowa.co.jp/02/_crack/



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 00:06 | コメント (0)

悟りの窓、迷いの窓

オフィスにアートギャラリーを併設して、9ヶ月が経った。長年、広告デザインの仕事をやってきてアートに触れてきたけれど、いまだ暗中模索中。出張に行ったついでに京都へ立ち寄った。目的は、アートディレクターの元祖、本阿弥光悦の光悦寺に行くことであった。この話は次回にするとして、先に近くにある源光庵を見た。


20111218_01.jpg


悟りの窓を実際に見てみたかったからである。あの「そうだ京都、いこう。」の広告で誰もが見たことのある、ま〜るい窓である。歴史的なうんちくは、WEB上で多くの方がたくさん書かれているので、ここでは敢えて触れないことにする。


20111218_02.jpg


なぜ、悟りの窓は丸くて、迷いの窓は四角いのか?円形は、禅と円道、大宇宙を表しているそうだ。四角い窓は、生老病死四苦八苦を表しているという。ここへ来て思ったことは、迷っている暇があるなら行動に移せ!ということだった。四苦八苦しながら、そりゃあもう、楽ではありません。でも、とりあえず行動に移すことによって問題点や課題が見えてきて、迷いながらゴールに近づいていくような気がする。世の中の多くの人は、「とりあえずビール!」と注文するけれど、とりあえずチャレンジということには、なかなか二の足を踏むようである。


とりあえず、行ってみたかった京都の源光庵。ミニマムな精神性の強い様式の中に身を置きながら、迷いながら悟るということに気付かされた。




★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 00:22 | コメント (0)

金沢21世紀美術館 Olafur Eliasson

先月、金沢21世紀美術館へ行った。僕は、現代アートについて特に詳しいという程でもないけれど、美術館の前に展示してあるカラー・アクティヴィティ・ハウスという作品に興味を持った。


201121_01.jpg


以前、当社に訪れたある人が本棚にあるマーク・ロスコやイヴ・クラインの画集を見て「これらは、どう見ていいのかわからない」と言っていた。


201121_02.jpg


201121_06.jpg


僕は、これらの抽象絵画をどう見るかではなく、どう感じるかということだと思っている。頭で考えるのではなく体感すればいい。まさにこの体感するアートがここにあった。オラファー・エリアソンというコペンハーゲンの作家が表現しようとしていたのは、日々、当たり前に目にする風景を光の三原色の渦巻状の円柱に入ることによって、いつもと違ったカラフルな景色が見えてくることだった。作品の中心から様々な角度へ周囲を見渡すと、色が混ざり合って紫に見えたり、黄緑に見えたり、オレンジに見えたり、筒状の透明アクリルが重なり合って奥行きのあるカラーリングを楽しませてくれる。


もうひとつは、作品と言うよりも美術館にあるエレベーターだった。ホールから下を見下ろすと、透明の箱が上へ浮かび上がってくるように見えた。どうなっているのだろうと思って、階段で降りてみると何のことはない、エレベーターの箱をシャフトが押し上げているのだった。カラー・アクティヴィティ・ハウスを観たあとだったので、これもアートかと思った。いや、これもアートと言ってもいいのではないか?アートとは、日常的なことを非日常的な驚きに変えてくれることであると思う。


201121_03.jpg


201121_04.jpg


201121_05.jpg


気難しく考えらさせられるアートよりも見る者を参加させてくれるアートだった。


Colour activity house(カラー・アクティヴィティ・ハウス)についてはこちら。
http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=30&d=10

★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 22:32 | コメント (4)

金沢主計町茶屋街で見つけたクリフトン・カーフ

金沢3大茶屋街の主計茶屋街を歩いた。「かずえまち」と読む。ひがし茶屋街から歩いて数分、浅野川を渡った川沿いにひっそりと佇んでいた。浅野川は、加賀友禅流しを今でも行っているらしい。ひがし茶屋街のように、観光客で賑わっていないけれど、その静けさがとても風情がある。この川にかかっている橋は、泉鏡花の「照葉狂言」の舞台になったところでもある。


20111115_01.jpg


裏道に入ると庶民向け遊郭跡が残存していた。狭い路地裏を入ると怪しい遊郭街がある。旦那衆が人目を避けてこの坂を抜け、主計町とひがし茶屋街へ通ったという。


20111115_02.jpg


その坂は、暗がり坂といい、階段を一歩上ろうとしたとき、その手前にギャラリーらしきものがあった。がらがらっと、引戸を開け「こんにちは〜」と入ってみた。奥の方から男性が、「いらっしゃい、今日は暇なのでゆっくりと見て行ってください」気さくに声をかけてくれた。平日だったので他にお客さんはいなかった。そこは、アメリカ人版画家が戦後日本の美しさに惚れて、生涯住みついてしまった、クリフトン・カーフのギャラリーだった。数年前に他界したカーフの自宅とアトリエをそのまま生かしてギャラリーにしたようだ。


20111115_06.jpg


20111115_03.jpg


ギャラリーオーナーの香川さんに、親切丁寧に解説つきで作品を見せていただいた。カーフの版画を見て感じたことは、四季色とりどりの美しさ、格子を墨色でくっきりと縁取りして鮮やかな色を調和していることだ。鮮やかな中に落ち着いた色調がなんとも心地良い。それと、もとカーフの住まいだったところをそのまま生かしているこの建物のこだわりがすばらしかった。やはり、良いモノを作るには、良い環境をということを実践した作家だった。自らの生活がアートのように思える。


20111115_04.jpg


20111115_05.jpg


日本人よりも日本の良さを愛してくれたアメリカ人。最期は、癌で余命4ヶ月の宣告を受け家族や親しい友人達に励まされて過ごしたという。日本人がもっと自ら自国の美しさを認識するべきであると思った。
アートギャラリーKARHU COLLECTIONは、こちら。
http://cw-karhu.jp/index.html



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 21:10 | コメント (0)

金沢の陰影

ひがし茶屋街を歩いていると、光と影の陰影が美しいことに気がついた。作りはシンプルなのに光が差すと、格子の陰影が美しい。水平素直にきちっと整列された街並は、この時代に生きた人々の気高さを感じる。着物の襟を正し、秩序に守られている感じがする。


20111030_01.jpg


今の時代は、街並などおかまいなしにそれぞれが看板を出して、主張し合っている。景観など、どうでもいいようである。


20111030_02.jpg


この街を歩いているとあることに気付いた。イギリスのコッツオルズという街を歩いていたとき、蜂蜜色のレンガ作りの建物で景観が統一されていた。なんて美しい街なんだろうと思い、日本に帰ってくると窓からふとんを干しているのを見てがっかりしたものである。


20111030_03.jpg


あのイギリスの片田舎に近いものがひがし茶屋街にあった。日本にもまだまだ美しい街があるじゃないか?日本の良さを再認識したのであった。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 23:47 | コメント (2)

金沢の金箔工芸

金沢のひがし茶屋街を歩いていると、優美な街並が目に入った。和服姿の女性がこの街にはよく似合いそうだ。


20111009_01.jpg


そして、金沢と言えば金箔文化が美しい。他のアジア文化の金箔の使い方ともちょっと違う。ぎらぎらしていない。しかも、純金プラチナ箔が世界ではじめてここで完成されたらしい。


20111009_02.jpg


ひがし茶屋街を歩いていると、すぐに箔座という金箔のギャラリーショップを見つけた。東京の日本橋にもショップがあるようだ。


20111009_03.jpg


しなやかで美しい光を放つ金箔は、美術工芸に生かされ加賀百万石の文化を支えてきたという。世界に誇る伝統の技は、時代にふさわしいカタチで今に受け継がれている。僕が立ち上げたばかりのGALLERY VIGLOWAもこんな日本の伝統工芸をどこかに取り入れたいと思う。

しなやかで美しいというキーワードに触発され、VIGLOWAのヒントへ多いに役立ちそうだ。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 12:55 | コメント (0)

金沢ひがし茶屋街

にし茶屋街に較べて、ひがし茶屋街は規模が大きかった。にし茶屋街は庶民的な街なのに対して、こちらは武家屋敷が密集しているということで、それなりに上品な感じがした。江戸時代の雰囲気がそのまま残っている。木格子の並んだ街並は、整然としていて美しかった。グラフィックデザイナーの僕は、自称、水平垂直マンなので紙面上の水平垂直にはちょっとうるさい。ひがし茶屋街を歩いていると心の中で思わず、「オ〜ケ〜ィッ!」と叫んでしまった。


20110928_01.jpg


この水平素直マンにはたまらない木格子を、木虫籠(きむすこ)と呼ぶ。すっかり、自身をなくして元気がない日本人だけど、この時代にこれだけの美意識があったということに誇りを持ってほしい。色を抑えたシックな景観はとても大人だ。現代の日本は、看板が多く、それぞれの企業が主張して景観どころではない。自分さえよければいいという感じがしないでもない。もし、これから日本の経済がこのまま停滞するとすれば、日本人は、江戸時代の侘び寂びの文化を再認識するべきではないだろうか?成金趣味は、他のアジアの国々に譲って、「日本はそんなこと、もう卒業した」とでも言いたげに独自のペースを守ってほしい。今まで、猛スピードで駆け抜けてきたのだから。


20110928_02.jpg


20110928_03.jpg


20110928_04.jpg


20110928_05.jpg




★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 23:57 | コメント (0)

金沢にし茶屋街

仕事で金沢へ行った。ついでに金沢を観光。まずは、西茶屋街へ行ってみる。9月だというのに猛暑だった。冷たいものでも飲もうと思って入ったお店が、西茶屋街資料館だった。


20110917_01.jpg


アイスコーヒーを飲みながら、茶屋街の説明を受ける。ここは、お茶を飲んだ後、二階を観覧できるという。金沢は、加賀百万石の城下町で、花街といわれるところが、「にし茶屋害」「ひがし茶屋街」「主計町茶屋街」の3ヶ所ある。


20110917_02.jpg


にし茶屋街は、どちらかというと大衆的な雰囲気のお茶屋街だったようだ。とは言え、二階へ上がって見ると金屏風に赤、青、緑の豪華絢爛な座敷があり、太古を叩いて踊る芸妓さん達の華やいだ歌声が聞こえてきそうだ。古き良き日本の粋で雅な文化に触れたひとときであった。


20110917_03.jpg


20110917_06.jpg


20110917_07.jpg


20110917_05.jpg



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 13:42 | コメント (0)

増毛からサクランボ

僕が青春時代を過ごした留萌という小さな町の隣にある増毛から、サクランボが届いた。そこには高校時代の同級生が経営しているヤマセン仙北果樹園がある。


20110728_01.jpg


高校時代には話したこともないけれど、このIT時代にブログやツイッターで知り合うきっかけができた。そもそも僕はいつも眉間に皺を寄せ気難しそうで人付き合いが悪かったのである。今でも結構面倒くさいやつと言われ、巷では泣く子も黙るカミソリヒデと言われている。ツイッターから、同級生の動向が気になり、ちょくちょくその農園のホームページを見ているうち、丹念な仕事振りにサクランボを食べてみたくなった。ツイッターで連絡を取り東京へ送ってもらった。VIGLOWAのみんなにも故郷のネタに食べてもらおうと思ったが、あまりにも感動的で毎日夜食代わりに自分で食べてしまった。インプレッションは、手のひらにそっと乗せなければ壊れてしまいそうな繊細な肌触りがあり、赤ちゃんの皮膚のように慎重に触らなければならないほどだった。ごっくんと生唾を飲み、一口頬張ると柔らかい皮膚の感触がプチッ!と弾けて甘みが口の中に広がった。表面の皮がシルキーな肌触り。味だけではなく、口に含んだときの触感まで楽しめる。まるで、ブルゴーニュワインをワイングラスでグルグル回し、空気に触れさせ、まろやかな味になっていくのを楽んでいるかのように...。


20110728_02.jpg


20110728_03.jpg


20110728_04.jpg


僕が18歳で上京したとき高倉健の「駅」という映画が上映された。どちらかというと洋画の方が好きだったけど、雑誌広告に掲載されたPRに増毛という文字が飛び込んできた。田舎が嫌で飛び出してきたはずなのに妙に気になって、新宿の映画館へ一人で観に行った。銭函、留萌、増毛の風景が懐かしかった。青臭い若造は、都会の人間に負けたくないという気負いもあり、自分のルーツを受け入れたくなかったけれど、どこかでそれを否定できなかった。あの頃の気持ちが忘れられなく、今でもこの映画は大好きな映画である。


増毛駅は未だに無人の終着駅。誰もいない。何もない。都会から見たら、本当に何もない田舎だ。それがまた心を清めてくれてなかなかいい...。


ヤマセン仙北果樹園をヨロシクッ!
http://kajuen.net/senboku/



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 23:07 | コメント (2)

脆い桟橋

未知の世界へ飛び出そうとしているのに、この脆くて今にも崩れそうな桟橋。足下がふらふらしているような状態である。暗闇の中で一抹の光を見つけ、それが出口だと信じて旅立とうとしている。助走をつけて、この桟橋を踏切り台に大空へ飛び立とうとしている。


1101212_01.jpg


仲間はついてきてくれるのだろうか?みんな重荷を背負っている連中ばかりだ。クリエイティブに携わる人達は、みんな重荷を背負っている。なんで、こんな苦しい仕事を選んでしまったのか?オリジナリティのある物作りをしていかなければならないというのに、この日本ではあまり評価されない。本当にいいものかどうかは、世界で認められてやっといいものであることに気がつく。逆輸入大国日本。日本人の価値観はどこへ行ったのだろう。


日本の期待ができないなら、世界へ飛び出すしかない。それにしても足下が不安定だ。こんなところを助走して大丈夫なのだろうか?ある人は言う。「うまくいくのか?」そんなことわかるわけがない。考えて、考えて、考えた末の結論。うまくいくかどうかなんてわからない。


背水の陣のごとく、水を背中に向け陣を取るのもいいけど、水を飛び越え大空へ羽ばたく。


本気で戦ってきた仲間を連れて僕は世界へ飛び立つ。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 23:36 | コメント (0)

空虚を楽しむ

タルコフスキーの「ノスタルジア」という映画に触発されて、空虚な風景写真を撮ってみた。僕は、派手なモノより空虚なモノが好きだ。群れることが嫌いだ。一人遊びが好きだ。パーティが嫌いだ。そんなことを言って、誰にも誘われなくなるのも寂しいので必ず誘ってください。ただ、行くまで気が重いのです。行ってしまえば、結構はじけて楽しんでしまう方なんですけどね。


101118_01.jpg


多分、空虚がマイブームなんだと思う。僕はナルシストなところがあるので、孤独で空虚な自分だと思うとその世界に入り込んでしまって、自分に酔ってしまうのかもしれない。


101118_02.jpg


僕は、空虚が暗いなんて思わない。空虚を恐れたりなんかしない。不確かで、不安定の時代にみんなで手を取り合い助け合うことは大事だと思う。でも、無を楽しむ術を身につけると空虚なんか怖くない。こんなにも心を無にしてくれる。けっして、悪い方へ考えるのではなく、希望を持って未来のことを考えることができる。


101118_03.jpg


そう思えるのは、多くの友人達に助けられているからだと思う。助けられていることに依存するのではなく、そこから這い上がる努力は自分でしなければならない。その努力をするときに、一人空虚になり心を落ち着かせると頭のスクリーンに一抹の光が見えてくる。あとは、それを目指して突き進むだけ。


空虚に身を委ねると、身体が浮遊していき全身からアルファ波が出てくる。それがなかなか心地良い。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 16:25 | コメント (0)

青の静けさ

青い池が北海道の美瑛町にある。天候によって、水面の色が変わるようだけど、僕が行ったときは生憎の曇り空。それはそれで、青空を水面に映し込まないのでエメラルドグリーンに輝き美しかった。


100925_01.jpg


しばらくこの美しさに見とれていると、金の斧、銀の斧のイソップ童話の世界を思い出した。この池から、神が現れて「あなたの落とした斧は金の斧?」と聞かれて、思わず「ハイッ!」と言ってしまいそうだ。


正直なことがいかに大切なことか問いただした物語だけど、現代社会では情報過多になり、その情報がどこまで本当なのか、どこまで信じていいのかわからなくなることがある。マスコミの情報だって、視聴率をあげることを目的にすればちょっと誇張した報道になり、祭り上げられた人の言い分なんか聞いてあげない。


僕は、一年半位前からテレビをまったく見なくなった。それまでは、夜遅く家に帰ると、すぐテレビをつけた。毎朝、起きても、休日も家にいる間中、テレビをつけっぱなし。ところが、テレビを見なくなって不自由するかと言うと、何も不自由ではないんだなっ、これが!


そもそも、テレビで放映したことを知っていなければならないのだろうか?社会人の常識なのだろうか?日本国内の報道は正しいのだろうか?尖閣諸島の問題だって、中国の視点からは、報道していないじゃないか?しているかもしれないけど、少数だと思う。なぜなら、国民の感情を煽って視聴率をあげるのがマスコミの目的だから。喧嘩とか争いというものは、両方の言い分を聞いて初めてどちらが悪いか判断できるというもの。


賢者とは、両方の情報を集めて冷静に判断する。そう、情報とは中立な情報が入手できなければ意味がない。偏った報道は、テレビ局の一方的な情報でしかない。テレビがないと、タレントがぎゃーぎゃー喚き散らすこともないし、静かに音楽を聴いて本を読める。この青い池の前でそんなことを考えた。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 22:43 | コメント (2)

鶴岡八幡宮の大銀杏

昨年、あの大銀杏の前で記念撮影をしたばかりだった。関東大震災にも耐えた、あの老木が倒れた。


100311_01.jpg


このあたりで、源頼朝と北条政子の次男、源実朝が暗殺された。この階段か、もっと手前の橋の上とも言われている。800年位前に一体ここで何があったのだろう?改めて、歴史をひも解いてみた。


100311_02.jpg


承久元年(1217)1月27日午後6時頃、夕方から大雪になり60センチも積もったらしい。実朝は、右大臣拝賀の祝典を終え、雪の積もる鶴岡八幡宮の快階段を降り始めた時、頼朝の兄の息子、公暁がこの銀杏の大木に隠れていた。実朝は、酔っぱらって千鳥足のところを「暗くなっております。お気を付けてください」と家来が松明で足元を照らした。そこへ「親の敵!」と言い、引きずるように歩いていた実朝の長い着物を踏みつけた。実朝は、酔っぱらっていたので何がなんだかわからず、公暁に首を討ち取られ首を持って逃げられたということだ。前を歩いていた家来が、何事かと振り向くと「うわっ、将軍様の首がない!!」と驚いたという。公暁が5才のとき、父の頼家が死んで、伯母の北条政子育てられていた。頼家は、比企氏と組んで北条氏を滅ぼそうとしていた。頼家が重い病気にかかって、比企氏が滅ぼされて、実朝が第3代将軍になった。病気が治った頼家は、伊豆の修善寺に移され、そこで暗殺された。そんなこともあって北条政子の息子、「実朝が父を殺した」と信じていたのかもしれない。それは、公暁の勘違いらしい。


目をつぶると、事態が把握できずに逃げ惑う人々のわめき声が聞こえてきそうだ。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 15:32 | コメント (2)

しばれる

昨日の東京は寒かった。3月だというのに夕方から雪になった。


100310_01.jpg


夜11時頃、会社を出て家に帰るとき、道路がシャーベット状の雪だった。足元は滑り、地面を見てアスファルトのムキ出ているところを探して、一歩一歩を踏み出す。身震いしながら、心の中で「ああ、しばれる〜!」とつぶやいた。


100310_02.jpg


そういえば、18才で上京したころ、知り合いになった友達に「しばれる」という言葉を無意識に使ったら「なにそれ?」と笑われたことを思い出した。「東京を征服してやる!」なんて、羽田からモノレールに乗って、都会の風景に胸躍らせていた。ボストンバックひとつ膝に抱えた少年は、そんなことを考え粋がっていたはずなのに、僕は何か場違いなところに来てしまったような孤独感に追いやられた。


東京で生まれ、東京で育った若者達は世界を見ていたというのになんて差だったのだろう?僕にとって、目新しかったことが東京の若者にとっては日常だった。まだ、インターネットがない時代、情報の格差が激しかった。世界中の情報が簡単に入手できるようになった今、こういう地方の多くの情報を伝えていければいいと思う。


Yahoo知恵袋のベストアンサーで面白い回答があった。「しばれる」という方言が共通語にならないものか?という質問に対して、多くの人はそんな状況がないので必要ないというものだった。『私も北海道の友人に聞くまで
縛れるだと思っていましたので
そういうプレーが好きなのかと思っていましたよ
共通語は無理でしょう
まだギャグのレベルです』というのは、面白かったけど。


語源は「柴割れる」だという説もある。
あまりの寒さに柴の水分が凍結して、「柴が割れる」状態になることから生まれた言葉なのだそうだ。きっと、体験したことがない人のために、今回の写真は体感できるのではないかと思う。「あ〜あ、見ただけでもしばれる」と息を吐きかけながら、両手をすりすりするのです。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 13:25 | コメント (0)

バンパイア

札幌の石屋製菓の社屋で朧月を見た。


01020_01.jpg


子供の頃、テレビで見た手塚治虫のバンパイアを思い出した。実写とアニメの合成でモノクロの映像が妙にリアリティがあった。主人公のトッペイは満月の夜に感情が高ぶるとオオカミに変身するオオカミ男であった。


01020_02.jpg


現代では、他人のエネルギーを吸い取って、自分のものにしてしまう人をサイキックバンパイアというらしい。自己中で、他人からエネルギーや手柄を吸い取り、自分のエネルギーにしてしまう人。「自分さえ良ければいい」という考えのもと、私利私欲のため相手がどうなろうと構わない。どうして、こんなバンパイアがいるのか?特にこの不景気になるとサイキックバンパイアがどんどん増殖してくる。


01020_03.jpg


あなたの身近にもいるかもしれない。妙に他人を疲れさせる人。心と心が響き合わない人。人の話をまったく聞いていない人。こんな人がいたら、要注意だ。社会というのは他人との関わりで成り立っている。お互いを思いやる気持ちが大切なはずだ。他人への思いやりも気をつけなければ、生き血を吸い取られる時代。ちょっと、優しくすると図に乗ってきたりなんかしたら、それはサイキックバンパイアだ。


人間だったら、恩とか義理ということを感じとるはずだ。それを相互扶助の関係という。それができないのは、ケモノと一緒である。僕はどうなんだろう?まだ、生き血を吸い取られた形跡はないようだ。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 01:05 | コメント (4)

雪融けの窓

今年の札幌は年末から年始にかけて、悪天候が続いた。


100113_01.jpg


晴れ男の僕は、行くところ全てが晴れになる。まるで、モーゼの十戒のようにぱぁ〜と雲が割れ、その隙間から陽射しが漏て瞬く間に晴天になる。


100113_02.jpg


子供の頃、ある真冬の晴れた日の情景を思い出す。猛吹雪かと思ったら、あっという間に晴れて太陽が燦々と白い雪を融かす。窓の下は、氷柱が融けて「ぽちゃ〜ん、ぽちゃ〜ん」と一定のリズムを刻む。家の中から、屋根から滴り降りてくる水滴をず〜っと眺めていたものだ。何かに取り憑かれたように...


100113_03.jpg


そんな思い出をもう一度体験したくて、車を走らせた。それなのに暖冬の北国は、氷柱がない。ちょっと天気が良くなるとすぐに屋根の雪が滑り落ちてしまうのだ。一体どこまで走ったのだろう?そのうち、だんだん曇ってきた。外へ出てシャッターを切ると凍てつくように寒い。


100113_04.jpg


日本海沿いを走り、どこだかわからないけど適当に内陸部へ入ってみた。きっと、辺り一面、牧場なのだろう?遠くの方に民家があるだけ。そこの納屋でやっと貴重な氷柱を見つけた。
本当は、氷柱を見上げた時、陽射しが逆光で氷を透かしてきらきら輝いてくれるといいのだけど。それは、次回の課題にしよう。ああ、氷柱!



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 21:40 | コメント (6)

2010年スタート

みなさま、新年明けましておめでとうございます。
寒いけど温かい、北国の冬景色をお届けします。


1007_01.jpg


北国に住んでいる方には当たり前の風景も、こうやってファインダーで切り取ると暖かみのある風景に見えるものです。僕がデザインをするとき根底に流れているものは、子供の頃、近所にあったレンガ作りのサイロなのかもしれない。真冬の白い世界とレンガ作りの家。北国の夜は早い。寒さに震えながらコートの雪を落とし家の中に入ると、黒いスティール製の薪ストーブの小窓から赤い炎が灯っている。台所から、料理の湯気が漂ってくる。


1007_02.jpg


冬になると家には雪が被いかぶさり、白銀の寒さの中にも風情があった。リビングには、薪ストーブが煙突でつながって、たしかペチカというレンガ作りの暖炉があった。秋にはどこの家も撒きストーブに焼べる薪割りをする光景が目に浮かぶ。三角屋根には、レンガの煙突があって、本当にサンタクロースがそこから入ってくると信じていたくらいだ。


1007_03.jpg


これからもこの温もりをデザインに生かしていきたい。
今年も宜しくお願い致します。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 22:13 | コメント (6)

晴れ男

今日から、ポジティブ人間になることを世界へ向けて宣言する。


091109_01.jpg


金曜日の夜、フォトグラファーのTさんが遊びに来た。いつものようにアートについて盛り上がり、帰り際に一冊の本を置いていった。この手の本は、何十冊と読んだことだろうか?つまり、『思考は現実化する』というあの法則だ。僕が過去に読んだどの本も基本的には同じで、言葉を変え、表現を変え書いているにすぎない。わかっているのだけど、最近何かが狂い始めてネガティブになってしまっていた。別の本には、「ネガティブシンキングの人は、習慣を直してポジティブシンキングになればいい」と書いてあった。


091109_02.jpg


毎朝、ポジティブな気持ちでその日、一日を爽快な気持ちで過ごすことをイメージしていればほぼそうなる。嫌々一日を始めると寝る時も不快感が残って、次の日も嫌々仕事をすることになる。だから、この習慣を改めポジティブに考えるようにする。これを「引き寄せの法則」というらしい。


091109_03.jpg


例えば、「遅刻してはいけない」と思うと、遅刻する。「新しい服にこぼしてはいけない」と思うとこぼす。「借金が増えて困った」と思うと次々借金が増える。奥さんが旦那に「浮気したら許さないわよ」と言ったら、浮気する。これは、「遅刻」、「こぼす」、「借金」、「浮気」というキーワードがインプットされるから、それを引き寄せてしまう。カーネギーの本にも書いてあった。母親が「○○ちゃん、お皿割っちゃだめよ」ときつく叱ると必ず子供は割るのである。この場合、正しくは「○○ちゃんだったら、お行儀良くご飯食べられるわよね?」である。


091109_04.jpg


それには、そうありたいことを強く念じて自分を信じることである。僕は、晴れ男である。そう信じて疑わないので、ロケの時や出張の時、たとえ台風になったとしても僕が乗る飛行機だけが飛ぶ。ロケの時は、出発まで雨が降っているけど、現地に着いて撮影の準備をしていると雲がわかれて、太陽が顔を出す。ある日、大雨の伊豆スカイラインで、ぱ〜っと雲が開けて富士山が見えた。数々の伝説を作ってきた僕だけど、あの時の感動が忘れられない。わかっているんだけど、日常のことに関しては、ついネガティブになっちゃんだよね〜。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 19:13 | コメント (2)

アーバン、ナチュラル派

然別湖から、北東へ向って糠平湖(ぬかびらこ)へ行った。


091021_01.jpg


原生林に囲まれた山々の間には、靄がかかっていた。山林を走る車の前方には、青い鳥が左右に振り子のように飛びながら導いてくれる。湖へ辿り着いたら朝日が昇りかけていた。十勝の山の中は気温も低く、湖面には朝靄が漂っていた。なんとも幻想的で美しい風景。真っ暗な夜道から、ぱっと明るくなった気分だった。湖面に浮かぶ靄が朝日を反射して、優しく温かみのあるピンク色に染まっていた。何か心の中を投影しているかのようだった。


091021_02.jpg


風景というのは、気分を爽快にしてくれたり憂鬱になったりと感情を揺さぶる。この場所に身を置くことによって、風景と一体になれる喜びを感じた。都会派を豪語していた僕は、自然の美しさに打ちのめされた。現代社会では、多くの人と表面的な関係を築き、家庭を築き、仕事を通じ、趣味に高じる。彼らは、何かに利用するための人間関係を築き、誰かにしがみつき、友人も恋人も戦略的に選ぶ。


091021_03.jpg


自然のいいところは、そういうこととは無関係に日々の張りつめた緊張を楽にしてくる。居心地のいい人間関係というのは、地位や経済力でもなく、お互いに安らぎを与え、緊張を解き放してくるような関係だ。喜びを分かち合い、一体となれるとよりいい。


僕は、自然が好きになった。これからは、自らをアーバン、ナチュラル派と呼ぶことにしよう。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 17:00 | コメント (4)

ほんのり頬を染める

大雪山国立公園に然別湖(しかりべつこ)という湖がある。


091008_01.jpg


北海道でもっとも標高の高い位置にある湖。この湖は3万年前ほどの噴火で川がせき止められてできた。湖の東側には唇山といわれ、湖面に映る影とその形からなんとも色っぽい形をしている。


日の出前から暗闇の中、三脚にカメラを固定して待機していた。湖の向こう岸から、朝日が登ってきた。上唇の形をした小さな山が、シルエットを映し出す。鏡のように澄んだ静かな湖面が表情の全貌を現してきた。上唇のシルエットが湖面にも映って、本当に唇のように見えてくる。なんとも神秘的な湖。鉄の斧でも放り投げてみたくなる。すると、湖の妖精が現れて「あなたの落とした斧はこれですか?」と言って、金の斧を差し出すんだよね。


この鏡のような湖は、自分の心を映し出しているのかもしれない。その時の心の状態が、見る人に様々な表情を見せるに違いない。人間関係にもミラーリングという法則がある。「あの人が嫌い」と思ったら、それが顔に出ていて相手にも伝わり、お互いが嫌いになってしまう。どんな人にだって、短所があるはずなのに、自分の短所はすっかり高い棚にあげて忘れてしまい、相手の短所だけが鼻につく。


ぶっきらぼうな顔をしていると誰もが近寄りがたくなり、本人が気付かないうちに次第に孤立して不幸になっていく。そのことに気がつかないと永遠それの繰り返し。不満は誰にだってあるけれど、お互い様なんだから相手の長所をもっと見るようにしよう。そして、自分から率先して笑顔で挨拶をしよう。きっと、幸せが訪れるよ。


091008_02.jpg


そんなことを考えていると、目が慣れてきて、桟橋で女性がボートを引っ張っている姿に気がついた。そのシルエットがとても美しく「きれいですね!」と僕は声をかけた。


091008_03.jpg


湖はみるみるうちに赤く染まった。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 19:25 | コメント (10)

子鹿のバンビ

ここは、十勝の山奥。
車で走っていると「子鹿のバンビ」のようなシーンに出会った。


090929_01.jpg


バンビの原作は、オーストリア出身のフェリックス・ザルデン。動物文学小説で、動物の目から人間を見る視点を描いたのが画期的だった。


090929_02.jpg


雪も融け、春の陽気がうららかなある日、森の奥深くに住む、小鳥達が見守る中、シカの赤ちゃんが生まれた。それを見守っていた、カササギは森の仲間に知らせてまわった。森の仲間は、シカの赤ちゃんを見ようと次々に集まってきた。バンビと名付けられたこの子鹿は、森の仲間達とさまざまな冒険をしながら、成長していった。夏になり、食べ物を求めさまようバンビ親子。


090929_03.jpg


森の長老、みみずくに警告されていた人間の道路というところへ出てしまった。好奇心旺盛のバンビが見たものは、猛スピードでやってきた鉄のかたまり。慌てて、森の茂みの中に飛び込む。木と木の間から覗いてみた。すると、鉄のかたまりはゆっくりと停まり、中にいる生き物がこちらを見ている。


090929_04.jpg


「あっ、人間だ!逃げろ!」


僕は、バンビを親子に軽く挨拶をしようとしたのだけど、どうやら信用されていなく、逃げて行ってしまった。ディズニー映画の「子鹿のバンビ」は、人間が森の中へやってきて銃を向け、発砲するんだよね。そんな危険を冒してでも新しい世界へ飛び込むのが成長するということなんだと思う。このバンビの親子は、きっと、こわ〜い思いをして何かを学び取ったに違いない。ヒトも旅をすることで成長する。


090929_05.jpg


僕は、いいヒトなんだけど。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 21:26 | コメント (8)

幸福

廃駅になった、帯広にある幸福駅。


090927_03.jpg


あらためて、幸福ってなんだろう?と考えた。僕が思う幸福は、思いが実現すること。逆にいうと思っていなければ叶うこともないということ。途中、もうダメだとか、無理だとか思うことがある。でも、無理なのは承知でずっと思い続けていると、全ては叶わないかもしれないけれど、願いが叶うことがある。叶わないかもしれないけれど諦めた時点で終わりだ。


090927_02.jpg


駅舎には、全国から来た人々の願いが紙に書かれて貼られていた。みんな幸福になりたいんだね。

幸福の格言を調べてみた。

幸福の秘訣は、自分がやりたいことをするのではなく、自分がやるべきことを好きになることだ。(ジェームズ・バリー)

幸福は対抗の意識のうちにはなく、協調の意識のうちにある。
(ジイド)

喜んで行い、そして行ったことを喜べる人は幸福である。
(ゲーテ)


090927_01.jpg


世界の偉人達もそれぞれ幸福に対する認識が違うようである。僕が共感できるのは、この3つかな?僕は、幸福とはもっとささやかなものであり、身近なところにあるのだと思う。いくら何かを手に入れて幸福になったとしても、次から次へと欲が出てきて幸福が遠ざかっていくから。


もしかしたら、幸福を手に入れるには30年くらいかかることだってあるかもしれない。僕は幸福を求めて、レールの上を歩いた。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 23:13 | コメント (6)

夏の終わりに

水色のそよ風に導かれ、有珠山へ向った。


090906_01.jpg



8月の終わり、お盆を過ぎたら北国の夏はもう終わりだというのに、強い陽射しが肌を差す。途中、人、ひとりいない真っすぐな道路を走る。周りはのどかな田園風景だった。一足遅れてやってきた僕を、真夏の太陽が店仕舞いしないで待っていてくれたようだ。


その脇には、満面の笑みを浮かべたひまわりが咲いていた。緑と黄色のなんと鮮やかなコントラスト。僕は、こんな色彩を使ったことがない。まして、ひまわりなどという花のことなんか何十年も考えたことがなかった。ちょうど一年前、新宿にある「損保ジャパン東郷青児美術館」でゴッホのひまわりを見た。画集で見るのとは違い、原画の筆のタッチ、マチエールに圧倒された。人生に、生活に苦しんだゴッホは、日本の浮世絵に影響を受けて色彩が明るくなったという。


090906_02.jpg


この太陽のような笑みを浮かべた花は、僕に希望を与えてくれた。思わず車を停め、シャッターを切った。日本語名の「ひまわり」という由来は、東から太陽が登ったころ、東へ花を向け、西へ太陽が沈むころ、西へと花を向ける習性からである。


よく見ると、太陽は画面の右側から差しているはずなのに、あっち向いたりこっち向いたりしているひまわりもいる。太陽の方へ向くひまわりは若い時だけらしい。その中のひとつが僕と目があった。ちょうど画面の真ん中にいる。ちょっと背伸びして、みんなに埋もれないように笑顔で僕を見つめている。太陽の陽射しを一杯に受け、その光を僕に照らしてくれているように見えた。


090906_03.jpg


ゴッホは、季節外れになっても何度もこのひまわりを描いたという。きっと、毎日同じ顔を見ていると、季節に関係なくその笑顔に勇気づけられたのだろう。しばらく見ていると、「勇気を出して、頑張って!私、応援しているから」と僕に微笑みかけた。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 16:13 | コメント (6)

森の中のスターダスト

北国の夜空でスターダストを見た。


090826_01.jpg


深夜、森の中、どこまでも続く一直線の道を車で走っていた。夜空にキラキラ輝くモノがうごめいた。そこは民家などなく、辺り一面森の中。ヘッドライトを消すと真っ暗で何も見えない。空を見上げ、少しずつ目が慣れてくると星がキラキラ輝いていた。


090826_02.jpg


こんな夜空、東京では見たことない。あまりにも感動してしばらく夜空を見上げていると首が痛くなった。『これを写真に残すことができるのだろうか?』と思い、三脚とカメラを取り出しセッティングした。仕事仲間のフォトグラファーに露出の設定を聞こうと思ったが、深夜をとうにまわって朝を迎えようとしている。昔、独学で写真の勉強をしたとき、バルブで撮影することを思い出した。
『まっ、いいか!適当に30秒だ』暗闇の中、頭の中でカウントして30を数えた。目が慣れてきて、星の数がだんだん増えてくる。


090826_03.jpg


まるで、宝石箱をひっくり返したようにキラキラが散らばっていた。夜空の中でひっそりと輝いている星くず達。太陽や月のようにはっきりと存在感があるわけではなく、多くの星が集まってキラキラ輝いている。だから、どの星が素敵というわけでもない。僕が星を好きなのは、ひっそりと輝いているところだ。これ見よがしに目立つのは僕の美学に反する。あくまでもさりげなくが大事。


ひとつひとつは、小さく見える星だけど、僕は、あの星のようにいつまでもキラキラ輝く星となることを、自らに誓った。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 12:08 | コメント (10)

燐光

小樽に近い、祝津という岬で海底をうごめく燐光を見た。


090717_01.jpg


ある雨の日、日本海の海面を見ていると海底から何かが光り輝き浮上してきたように見えた。雲の隙間から夕陽が海面を照らし出しただけだったけど。


090717_02.jpg


この光景を見て、ジュール・ヴェルヌの「海底二万里」を思い出した。1870年に発表されたこのSF小説は、現代にも通じる世の中の警鐘とも言える内容だった。「その怪物は大海原に姿を見せた。長い紡錘形のときどき燐光を発するクジラより大きく速い怪物だった」と物語は始まる。その怪物は、燐光を発しながら船舶に近づいてきて船体を真っ二つに切り裂くのである。


090717_03.jpg


これが、反逆者ネモ船長が指揮する、潜水艦ノーチラス号である。ネモ船長は、地上の生活に背を向け、地上の人間に対する復讐の念に燃えて海底を世界中旅する。人間社会と人間の創り出した文明に対する深い不信感によって、自らの部下と娘を引き連れて、理想の海底都市アトランティスへと向う。


090717_04.jpg


現代なら、「太陽光発電による充電のため、海面近くに浮上した」と書けるかもしれない。ノーチラス号は充電が終わると、どす黒い雲がさっと明るくなり、燐光は海底へと消えていった。


090717_05.jpg


そんなことを夢想しているうちにいつの間にか雨はあがり、優しい光が雲の隙間から海面を照らし出していた。

★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 20:13 | コメント (4)

友人Sへの手紙

前略 医者という仕事は、さぞかし激務のことと察するよ。連休前、30年振りに留萌へ行って来た。


090606_01.jpg


中2の時、親父の転勤でおれは留萌へ転校した。クラスの女の子に恋をして、妄想日記を書いたのを覚えているか?よそ者のおれは、ヒーローになりたくて、彼女のことを日記の中で、いろいろな想像を膨らませて描写した。おまえとNとYちゃんは大受けで、おれは一躍ヒーローになった。


090606_02.jpg


でも、翌日からその罪悪感からか、彼女の顔をまともに見るのが辛く、クラスに居られなくなって、休み時間になるとおまえのいる隣のクラスへ逃げん込んで行った。お袋は、見知らぬ土地に馴染めなかったせいか、何度も病気をして入退院を繰り返した。14歳の夏、その寂しさからか、祖母にねだり、さしかわ楽器店で25,000円のヤマハのフォークギターを買ってもらった。おれとおまえは意気投合して、一緒にギターを競い合った。悔しいけど、おまえにいろんなことを教わったかな?


090606_05.jpg


ビートルズを知ったのもその頃。今だから言うけど、UKロックの虜になっていったのもおまえのお陰だ。英語が得意だったおれたちは、歌詞カードを訳して詩の内容を語り合った。ジョン・レノンのLOVEは深かった。そんなことで叶わぬ恋心を紛らわそうとしていたのかもしれない。


090606_06.jpg


中2の夏休みには、図書館で一緒に勉強して「成績が上がったら、もっといいギターを買ってもらおう」と励まし合った。おまえはその頃から医者を目指していたんだよな。二人で悪いこといろいろしていたから、勉強ではおまえにすっかり油断してしまった。


090606_07.jpg


家の裏には留萌川を挟んで山があった。あの裏山を何度も夢で見たよ。そう、二人であの山に登ってギターの練習をした。そして、30数年振りにあの山に登ってみた。近くに橋なんかなくて、子供だった二人はギターを持ってあのローカル線の鉄橋を渡った。あの時と同じように、いつ汽車が来るかもわからないのに、いい大人が渡ったんだ。雲ひとつない青空と初夏の清々しい水色のそよ風がおれの背中を押した。あそこへ立ったら35年前のことが、鮮明に思い出された。青臭い子供達にとって、その危険を冒すことが大人への入り口でもあったのだろうか...


バイパスを渡って、山の麓に辿り着いたら脇に獣道があった。確かにあの険しい獣道を二人で楽器を持って登った。気がついたら、皮のブーツだというのに滑りながら急斜面を夢中で登っていた。一歩一歩踏みしめていると、あの時の情景が鮮明に思い出してきた。35年前の獣道とちっとも変わっていなかった。違っていたのは、山の斜面に雪崩止めと思われる金属製の柵があったくらいかな?


この山のてっぺんで、二人は草むらに腰を降ろしてちっぽけな街を見下ろしてギターを弾いた。あの頃、まだ子供だったおれたちは、何かを征服したよう気分だった。この歳になって見た留萌の街は、昔の印象とは違っていたよ。あの頃は、『なんて田舎に来てしまったんだろう』と不貞腐れていたけれど、今、見渡すと、夕日に照らされた茜色の小さな街はとても美しかった。おれは、大切なことに気がついていなかったんだ。


30年間も東京で成功を夢見て、『故郷に思いを馳せているようじゃ勝てない』などとわかったふりをしていたのかもしれない。ルーツは、あの裏山にあった。二人とも感傷に浸るタイプじゃなかったけど、そろそろそういうのもいい年齢かなと思ったよ。40代は今日でお別れ。おれは明日、50歳になる。


今度、あの裏山のことを語らないか?                       早々

★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 06:41 | コメント (12)

儚いモノ

風の赴くままに、周りを見渡してみた。


090519_01.jpg


錆びれたバス、海の男達に見捨てられたボート、今にも朽ちていきそうな空き缶。こんなモノ達が周りの景色に彩りを添えていた。ずっと、放置されたまま何年も日の目をみないモノ達。僕がここへ来て、しっかりと見つめてあげた。誰にも注目を浴びることもないなんて言わせない。かつては、これらのモノも活躍して輝いていた時もあったに違いない。


090519_02.jpg


大きなバスは、一度に多くの村人を運んでいたときもあったはずだ。その頃は、颯爽とエンジンの音を轟かせ、車体はぴかぴかで、運転手さんと車掌さんは生き生きとして乗客を乗せ、海岸沿いを走っていたのだろうか。ボートは、海の男達がエンジンをかけると浜辺に押し寄せる高波へ向って、頼もしく沖へと出て行く。この空き缶だって、家族が揃った食卓でぴかぴかに光輝いていた時もあったはずだ。


090519_03.JPG


僕はしゃがみ込んで、空き缶に尋ねてみた。「ねえ、どうして君はここへ留まっているんだい?」「どうしてって、私はもう年老いてこんな錆びれてしまたったから、どこへもいくところなんかないの?もう、誰も私のことなんか見てくれない」「そんなことないよ。いい感じで年老いてきたじゃないか。この錆びれ方はとても味があると思うよ」僕の言葉は、なんの慰めにもならなかった。空き缶はただ無言だった。そこにあるのは、かつては賑わっていた人々の面影だけ。


なんだか砂の惑星にでもいるような、ふっと風が吹いて跡形もなくなって消えていってしまいそうだった。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 20:24 | コメント (8)

クリスティーナの世界を求めて

石狩湾沿いを北上すると、左手に日本海、右手に荒涼とした丘陵地帯が見えた。
水色の潮風は、僕をクリスティーナの世界へと誘う。


090507_01.JPG


この旅は、アンドリュー・ワイエスの幻影を探し求めた旅でもある。多くの人は、この荒涼とした廃墟を嫌う。何か寂れた、もの悲しさを誘うからであろうか?僕は、なぜ、ワイエスがこのような荒涼とした世界を描き続けたのか考えた。


090507_02.JPG


昨年、アンドリュー・ワイエス展を見た時、どこか北海道の懐かしい原風景を思い出した。アメリカと日本の違いはあるけれど、いつかこの枯れた風景に共通点を見出そうと思った。


090507_03.jpg


ワイエスは22才の時、メーン州の海辺の小さな村にある、古い大きな木造の一軒家を訪れた。そこには、二人きりで住んでいたオルソン家のクリスティーナとアルヴァロンという姉弟が、寄り添いながら与えられた生を淡々と生きていた。その姿に共感を抱いたワイエスは、以後深い友情のもと姉弟が亡くなるまで親しく交流したという。そして、夏が来るたびにこの家を繰り返し訪れ、30年間に渡り描き続けた。


090507_04.JPG


クリスティーナの世界は、手足の不自由な女性が自力で丘を這い上がって、前へ進もうとしている生命力を感じさせる1枚の絵である。人里離れた、殺風景なところにワイエスは何を感じ、どんなインスピレーションにより絵を仕上げていったのだろう?


090507_05.JPG


僕は、そんなことを考えながら、この廃墟と化した土地を眺めた。耳を澄ますと、牧場で淡々と働く人々の風切音が聞こえてくる。ワイエスは、廃墟を描こうとしたのではなく人々の面影を描こうとしたのだ。


090507_06.JPG


この土地を訪れて、自然の厳しさと生命の力強さを感じた。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 10:28 | コメント (2)

風にふかれるままに

30年ぶりに故郷を訪ねてみようと思った。


090505_01.jpg


北国の風は、まだ冷たかった。その風は、石狩湾の潮の流れに乗って、水色に空を染めていた。僕は、その水色の風に導かれて北上の旅に出た。


090505_02.jpg


昨年、フォトグラファーのT氏とアンドリュー・ワイエス展で盛り上がった。その絵は、お互い雪国で育って共感できるものがあった。どこか、乾いて寒々しい寂れた大地。僕は、北海道のどこかでこのような光景を見たことがあるような気がした。『もう、何十年も遠い過去だから、こんな風景は残っていないかもしれない』と思いつつ、どこかで期待を寄せた。


090505_03.jpg


札幌から、石狩湾沿いを車で走らせ、「アンドリュー・ワイエスはどこだ」とつぶやいていた。しばらく行くと、昔懐かしいサイロを見つけた。枯れ草に今にも崩れ落ちそうな廃屋。つい数日まで、大都会で暮らしていたのが嘘のようだ。あまりにも日常で都会を都会と思わなくなっていた今、このような光景を見ると改めて、都市の力強さを感じる。


090505_05.jpg


僕が求めていた、アンドリュー・ワイエスの世界がここにあった。時を超え、朽ちていく物の中に、そこに賑わいがあったのだろうか?目をつぶると、もう誰も住んでいない一軒の家に、子供達の声、晩ご飯の支度をしている炊事の音、犬の鳴き声、海岸から吹き付ける、ピュ〜、ピュ〜とうなり声が聞こえる。


090505_06.jpg


僕は、シャッターを切るたびにため息が出た。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 23:22 | コメント (2)

大倉山シャンツェ

1972年、冬季オリンピック札幌大会、90m級ジャンプの競技場へ行ってみた。


090126_01.jpg


当時、僕はまだ小学5、6年生くらいだった。札幌オリンピックで70m級ジャンプと90m級ジャンプに日本中が沸いた。北海道から出たことがなかったので、地元だけ盛り上がっていたのかどうか、実際にはそこのところはわからない。


70m級ジャンプでは、笠谷、金野、青地の3選手が金、銀、銅を独占。前年のプレオリンピックでは日本人選手など話題にものぼっていなかったから、あのときは日本中が熱狂した。この快挙以来、家では押し入れの中段から笠谷選手のクラウチングポーズを取って、シュワッと踏み切り、空中飛行をして敷き詰めたマットレスの上へ飛び降りる遊びに何度も熱中した。


70m級ジャンプの活躍に90m級もやってくれるだろうと思っていたけれど、残念ながら記録は振るわなかった。笠谷選手のスタート時に風が安定しなく、ゴーサインがなかなか出なかったのだ。テレビで見ていても笠谷選手のいらいらが頂点に達しているのがわかった。国民の期待を一身に背負って。スタートを切ったときにはもうすでに集中力が途切れていたように見えた。


オリンピックが終わって、各競技場が一般市民に解放されたので、真駒内アイスアリーナ、美香保スケートリンクでスケートをした。ジャンプ台も見たくて、70m級の宮の森ジャンプ競技場は一般公開されていたので行った。当時はスタートラインまで立つことができた。なぜか、90m級大倉山シャンツェは立ち入り禁止で下から見上げることしかできなかった。


今回、同級生に連れて行ってもらい、観光名所になった大倉山シャンツェを初めてのぼって見下ろしてみると、あの下に見える観客席から歓声が聞こえてくるようだった。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 16:29 | コメント (10)

緊張感

Kさんと筑波山へ登った。


081126_01.jpg


優しい山と言われて、なめてかかったら大変な山だった。僕は、根本的にアウトドア派ではないのである。アウトドアに憧れているけれど...途中で「弁慶の七戻り」という岩に遭遇した。ここには、両側の二つの岩に2点だけかろうじて留まっている、今にも崩れそうな岩があった。


081126_02.jpg


弁慶ほどの豪傑でも、この今にも崩れ落ちそうな岩をくぐろうとして、7回も行ったり来たりして躊躇したそうだ。現実世界にもこのように、「賭けにでようかな」、「どうしようかな」なんてこともあるよね。


081126_03.jpg


もしもだよ、6回躊躇して7回目が大丈夫だなんて思って崩れ落ちてきたらどうするんだろう?まるで、ルシアンルーレットのように、どきどきするなあ。


弁慶でも7回も戻ったのだから、蚤の心臓の僕などは、どれだけビビるかと思ったけど、そうでもなかった。でも、下から見上げた感じがすごかったよ。(真ん中の写真)これが、何百年も弁慶の時代から落ちていないとわかっているから安心できるけど、初めてみた弁慶もビビったんだろうね。


デザインでは、このアンバランスを緊張感なんて言ったりもする。僕は、どうしてもこのアンバランスなものに惹かれてしまうのだな。人間の魅力もそうだけど...



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 23:25 | コメント (8)

まるで、ブルーベルベットのような

秋川渓谷で見つけた、ミステリアスな青い世界。


080822_01.jpg


渓谷の風景写真を撮っていても、ちっとも面白くない。僕が、撮らなくても誰かが撮るような写真は撮りたくないと思った。デザインのメソッドに従って、どんどん削ぎ落としていくと、気がついたら膝まで川に浸かり、水面ぎりぎりのところまでレンズを近づけていた。


渓流釣りをしていた、見知らぬおじさんが近づいてくる。嫌な予感...「何かいるんですか?」とレンズを向けている方を僕の顔の横で覗き込む。僕は、心の中で『水面の表情を狙って、シャッターチャンスを待っているのだ。邪魔をしないでくれ!』と、言いたいところをぐっとこらえ、「いえっ!」とつぶやくのが精一杯だった。


おじさんは、不思議そうな顔をして通り過ぎる。やっと心を集中できる。きたーーーーーっ!この瞬間。まるで、ブルーベルベットみたい。都会では、真夏の太陽が燦々と照り返しているというのに、この谷間では日陰が青白い光を放ち、水の流れがベルベットのような光沢感を醸し出す。


僕は、青が好きだ。職業柄、時には、赤も緑も黄色も好きになる。だけど、青は特別だ。ダイヤを散りばめた夜空のように...時には、ネオ船長が人間世界に絶望し、パラダイスを求めて深海へと旅経って行ったように。どこまでも、どこまでも、宇宙の果てまでも続く、深〜い、深〜い色。この色には、果てなんかないような気がする。僕の心に輝き続け、未知なる永遠を感じさせるところが、好きなのかもしれない。


ボビー・ヴィントンの「ブルー・ベルベット」が、この青のようにどこまでも透き通った声で、僕の頭の中で鳴り響く。いつしか、僕は、妄想に駆られ、ブルーベルベットのドレスを着た女性に恋をする。『もしよかったら、僕と踊りませんか?』(今どき、くっさ〜〜〜〜っっ!)



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 01:20 | コメント (10)

子供は子供だったころ...

これは、夏のフィンランドで撮影した写真。僕は、この一枚の写真を手に取る度に、映画「ベルリン・天使の詩」の
全編に流れる、囁くような詩を思い出す。


080820_01.jpg


子供は子供だったころ、腕をブラブラさせ
小川は川になれ、川は河になれ、水たまりは海になれと思った。

子供は子供だったころ、自分が子供とは知らず、
すべてに魂があり、魂はひとつと思った。

子供は子供だったころ、一度よその家で目覚めた。
昔はたくさんの人が美しく見えた。今はそう見えたら僥倖。

昔ははっきりと天国が見えた。
今はぼんやりと予感するだけ。
昔は虚無など考えなかった。
今は虚無に怯える。

子供は子供だったころ、遊びに熱中した。
今は、その熱中は、自分の仕事に追われるときだけ。

子供は子供だったころ、ブルーベリーがいっぱい降ってきた。
山に登る度にもっと高い山にあこがれ、
町に行く度にもっと大きな町にあこがれた。
やたらと人見知りをした。今も人見知り。

子供は子供だったころ、木をめがけて槍投げをした。
ささった槍は今も揺れている。

「ベルリン・天使の詩」より



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 01:39 | コメント (2)

ローマの壁

写真を整理していたら、ローマの壁の写真がでてきた。


080526_01.jpg


どんな人でも壁にぶつかることがないだろうか?僕は、壁にぶつかった時、必ず突破口があるはずだと、自分に言い聞かせている。そんな苦境に立たされた時を思い出して、壁をじっと見つめているのが好きだ。


080526_02.jpg


海外旅行へ行っても、観光名所よりも壁を見つめていることが多い。だから、友人たちに「どうだった?」と聞かれると、とても困る。どうやら、多くの人は、ありきたりの答えを期待しているようだから...


080526_03.jpg


壁にマクロレンズを向けて、シャッターを切っている僕に、現地の人は不思議そうに声をかけてくる。イタリア語は、分からなかったが「そこに何があるんだい?」とでも聞いているのだろう。

そこに何があるかって?僕にとっては、それは景色だ。コロッセオやトレヴィの泉よりも面白い。ずっと見つめていると、壁が壁ではなくなってくるのだ。こんなにもいろいろな表情があるではないか。そう思うと、どんな壁にぶつかっても乗り越えられるような気がするものである。

勝ち組、負け組という言葉を聞くけど、勝つというのは、誰に勝つのだろうか?他人に勝ったとしても何もいいことなんかありゃしない。そこに憎悪が生まれるだけだ。どんな難しいプロジェクトでも多くの場合、他人との共同作業が必要だ。一人一人が、自分の壁を乗り越えられた時、そのプロジェクトは威力を発揮するのではないだろうか?ローマの壁は、自分自身を高めてくれる、ずっしりと重い壁に見えてくる。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 01:51 | コメント (8)

立体の街、道頓堀極楽商店街

大阪の看板のパワー、とにかくすごい!
道頓堀極楽商店街へ、一歩足を踏み入れた途端に僕はぶっ飛んだ!


071230_01.jpg


看板という看板が、みんな巨大で立体的だ。商店街を歩いていてもどの店も看板がせり出していて、自己主張している。日本人は、謙虚で厳かだったのではないのか?


071230_02.jpg


東京は、洗練なんて言っている場合じゃないよ〜っ!これじゃ、東京のお坊ちゃま達、完全に負けてしまっている。


071230_03.jpg


今回は、このビジュアルパワーがあれば解説なんかいらないです。


071230_04.jpg

071230_05.jpg

071230_06.jpg

071230_07.jpg


僕は、明日から北海道へ。
みなさま、良いお年をお迎えくださいませ。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 23:34 | コメント (12)

大阪から、メリークリスマス

師走です。
久々の大阪出張だった。
道頓堀極楽商店街にある、グリコのサンタの前からメリークリスマス!


071225_01.jpg


今回、帰りの新幹線まで、ちょっと時間があったので、道頓堀川辺りを散策してみた。ここを初めて訪れたのは、10数年前。随分と様変わりしたものだ。グリコの看板も新しくなったみたい。通称ナンパ橋といわれる、えびす橋もきれいになった。というよりこんなだったっけ?


071225_02.jpg


大阪のパワーはすごい!東京、負けてる。広告デザインの仕事をしていて、洗練とか、美とか、クールという言葉をよく使うけれど、対局にあるパワーがここにはある。

何がすごいか、次回へとつづく...



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 01:36 | コメント (6)

編笠山、ふたたび

週末、元同僚のYと編笠山へ行った。


070731_01.jpg


きっかけは、前回、編笠山登頂後、僕と別の元同僚の誕生祝いを兼ねて、お祝いをしてもらったときのこと。誕生祝いは、単なる口実で『みんな久々に会おうよ!』ということだった。


070731_02.jpg


僕は、登山のことを熱く語った。凝り出すと誰も止められなくなる性格なので、「今度は、一人でも行く!」と意気込んでいたところ、みんなは、「山は、危険だから、一人で行かない方がいい」と言う。


070731_03.jpg


今回は、晴れていた。山の大先輩から教わった通り、ちょっと山登りの先輩になった僕は、後輩よりも一定の距離を置き、後ろの気配を感じながら登った。後日、山の大先輩から『落石などの事故を防ぐために、後続者と少し距離を取った方が良い』と教わった。


070731_04.jpg


Yは、登りながら、僕に聞いた。「なぜ、山に登ろうと思ったの?」「う〜ん、なぜだろう?」咄嗟に答えがでなかった。Yはすかさず、「そこに山があるからさっ!」と冗談っぽく言った。『なるほど、深い!』と僕は、心の中で納得した。


070731_05.jpg


都会のかっこ良さに飽き飽きしてきたのかもしれない。人工的なかっこ良さが、薄っぺらく見えてきたのだ。それと山の大先輩の出会いが、大きかったのかもしれない。数年前から、僕は、人生の岐路に立たされていた。『このままでいいのか?』

そんなことを自問自答しているうちに、僕は、あえて仕事を縮小し、やらなければならないことに着手した。とても苦しい時期だけど、山の大先輩という人物と出会って、勇気と元気をもらったのかもしれない。山を登っていると『やるべきことを一歩一歩、足を踏み出していかなければならないのだ』と実感する。


『人生に楽なんか、ないのだ!』と自分に言い聞かせて...



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 15:41 | コメント (12)

下山途中

足下に気をつけながら下山していると
普段、見ることができない光景に出会った。


070617_01.jpg


途中、荒々しい溶岩を見つけた。八ヶ岳の知識もないまま来てしまったが、ここは火山だったようだ。八ヶ岳連峰は、フォッサマグナ(大地溝帯)の中にあって、古来からの連続した火山活動によって誕生した。


070617_02.jpg


フォッサマグナは、日本の主要な地溝帯のひとつで、東北日本と西南日本の境目とされる地帯。この地域、数百年前は海だったとされる。原始の日本列島は、現在よりも南北に直線的になっていたとされ、数百年前、フィリピン海プレートが伊豆半島を伴って日本列島に接近した時に、日本列島が今の形に中央で折り曲げられたようだ。この時、折れ目にできた海に、砂や泥が堆積してできたのが、今の地層ということである。


070617_03.jpg


僕は、今、日本列島が折れ曲がり、押し上がられた天辺にいるということになる。この山は、南八ヶ岳連峰のひとつで、硫黄岳、阿弥陀岳、横岳、主峰の赤岳、権現岳、西岳、そして、今いる、編笠岳と急峻な山容を持つ山々が広がっている。


070617_04.jpg


後日、山の大先輩にお聞きしたところ、先に離れて下山したのは、後続者が過って石を蹴り、落石に巻き込まれないようにということであった。さらに、山の達人は、常に後続者である、初心者の僕に気配を感じながら、ペースを保っていただいていたようだ。


070617_05.jpg


そんなことも知らずに、のんきに写真を撮る事に夢中になっていた自分が、ちょっと、恥ずかしい。山の大先輩から、感じる器の大きさは、こんなところからも見受けられる。今回の登山から、瞬時に求められる足場の選択から、同行者への配慮まで、読書やネットからでは、学べない大きなことを学んだ。また、行くぞっ!


まだまだ、未熟な登山のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 23:52 | コメント (14)

編笠山、下山

頂上で、つかの間の休憩後、下山する。
山の大先輩は、「自分のペースで歩くように...」と言い残し、
濃霧で視界が悪いにもかかわらず、颯爽と降りて行ってしまった。


070614_01.jpg


僕は、お言葉に甘えて、のんびりと歩くことにした。大きな岩が目の前に立ちふさがる。特に下山は、膝に負担がかかり、思ったよりもハードである。両手をついて、岩から岩へと飛び降りなければならない。雨上がりの岩場は濡れていて、飛び降りた時に足を滑らせて捻挫でもしたら大変なことになる。


070614_02.jpg


先程、頂上で山の大先輩は、「携帯電話の電波が入らない」とおっしゃっていた。ここで、怪我でもしたら、山の大先輩は、僕を一人取り残し、救助隊を呼びに行ってしまうのだろうか?そうなったら、こんなところで、一人で何時間、待っていなければならないのだろう。虫とか蛇には、滅法弱い僕は、急に心細くなってきた。その時、足元がぬるっと滑り、下を見て「うわっ!」と叫んでしまった。蛇かと思ったら雨で濡れた木の根っこであった。


070614_03.jpg


そんなことを考えながら、ひたすら、右足を出し、次に左足を出し、一歩一歩交互に足を前に出していると、霧も晴れ、太陽が出てきた。ちょっと、体力的にも慣れてきたところで、周りを見渡す余裕が出てきた。針葉樹の葉が、森の隙間から差し込んで陽射しを受け、鮮やかに映し出す。


070614_04.jpg


これは、針葉樹の中でもヤツガタケトウヒと言われるものではないだろうか?約二万年前の氷期には、広く東日本に分布していた「生きた化石」と言われる植物。今では、八ヶ岳の西岳付近の海抜1,500m〜2,000mにのみ生える貴重種ということだ。


070614_05.jpg


今回、登頂した編笠山は西岳の隣なので、西岳付近ということは、編笠山も含まれるのではないかと思う。資料となる、明確な写真があまりないので断言できないが、もしも、ヤツガタケトウヒだとしたら、初登山で苦労の甲斐があり、貴重種に出会えたとういうことだ。


登山のバッドチューニングは、まだまだ、つづく...



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 21:28 | コメント (10)

初登山

登山の大先輩であり、人生の大先輩に八ヶ岳へ連れて行っていただいた。


070611_01.jpg


山の大先輩の「まずは、足慣らしから」というお言葉を真に受けて、軽い気持ちでトレッキングシューズを購入し、準備万端だと思っていた。

みんなで、バースデーケーキを食べながら、「服装はどうするのか?」という話になり、僕は「ジーンズでいいんじゃないの?」、ウチのスタッフ達は、声を揃えて「ダメですよーーーーー!」と言う。僕は、内心、『こいつら、なんでそんなこと知っているのだ?』と思った。

前日、慌てて神保町へ、撥水加工のカーゴパンツと半袖のTシャツを買いに行った。山頂で、記念撮影をした時に、色のコーディネートもしっかり考えて....後で、『さすが、デザイナーは、山へ行ってもコーディネートはばっちりだね』と、言われることをイメージトレーニングしながら。夜になり、友人Sから、心配そうに準備できたかどうか、電話がある。友人には、『(おまえに登山は)似合わねーーー!』と言われる。そして、半袖はダメだと言われる。

朝3時半に目が覚める。山の大先輩に車で迎えに来ていただき、朝7時30分、八ヶ岳の観音平へ到着。天気予報は、雷雨。周りはちょっとガスっていて、カッコーが鳴いている。いよいよ、出発。30分位は歩きやすかったが、段々と苦しくなる。都内でも普段は、30分も歩いたことがないのだ。50分経った頃で、10分の休憩。

1時間半も経った頃、雨が降ってきた。息が切れる。苦しい。これが、足慣らしか?と内心思う。密かに登頂ルート図をこっそりと見る。まだ、5分の1じゃないか?一眼レフカメラを持って行ったけど、写真を撮るなど、ゆとりなんかない。


070611_02.jpg


あとは、ほとんど、無心。何度かの休憩後、山の大先輩に「もうすぐ、山頂です!」と言われた。下の写真の真ん中あたりに、山頂の標識が遠くに見える。急に「写真を撮らなくては!」と思いカメラを取り出す。


070611_03.jpg


記念撮影の写真が、魂が抜けたようだ。意識が朦朧とした中で、途中の記憶があまりない。3時間半は、登ったようだ。編笠山、標高2,524m、気温は、5度。


070611_04.jpg


登山のバッドチューニングは、つづく...



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 01:01 | コメント (20)

仙人のいる山

週末、スキーへ行った。
早朝4時の東京は、雨。関越道も雨だった。
月夜野で降りて、三国峠のトンネルを超えた頃には、雪に変わった。


DSCF1565.jpg


いつもの苗場は、濃霧で視界が悪い。リフトに乗っていると、横風が吹雪と一緒に頬を叩き付ける。頂上は、真っ白で何も見えなく、滑走禁止だった。数日前に雨が降ったのか、ゲレンデはアイスバーン。滑っていてもちっとも楽しくない。数本滑った後、プリンスホテルに戻る事にした。

苗場山の中腹を滑りかかった頃、霧の中に山々を見た。まるで水墨画のようだ。そもそも、水墨画は鎌倉時代に中国から日本へ禅とともに伝わったそうだ。もともと、禅の思想を表す絵画だったようだが、徐々に風景画も描かれるようになり、山水画と発展していったようだ。

日本では、室町時代が水墨画の全盛期となる。足利家が禅宗を庇護したこともあり、雪舟をはじめとする、多くの画僧を排出した。だから、水墨画を見ているとなんだか神々しくなるのだろうか?無彩色の世界は、実世界の喧騒からかけ離れた禅の世界だ。

しばし、寒さを忘れてこの無の世界へと没頭していると、精神が統一されてくるようだった。ポジティブ思考の僕は、『こんな悪天候でも収穫があった』と、気分が昂揚した。

こんな静寂した苗場は、バブルの時の賑やかさがウソのようだ。かつての華やかさはなくなったけど、もともと自然の風景は今も昔も変わらない。仙人もやっと静かにもとの生活に戻れることであろう。


スキー場のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 02:47

雪景色の琳派

恵庭岳の下流、白扇の滝からさらに南下すると漁川(いざりかわ)ダムがある。
漁川は、ラルマナイ川とイチャンコッペ川に挟まれている。
氷に覆われたダムの支流は、一部解けて優雅な曲線を作っていた。


DSC_6208.jpg


最近、デザインを掘り下げていくと、日本人としてのアイデンティティーが重要であるような気がしてきた。海外ブランドを身に纏うのも良いが、日本人としてのルーツを再認識したい。僕自身、世界のブランド品には興味があるので何も懐古趣味に浸るというのではなく、現代のグローバル化社会を見据えたうえで、日本人であることを意識していきたいということかな。

そこで、琳派。19世紀のヨーロッパでは、アールヌーボーが全盛であった。日本が初めて参加したパリ万国博覧会を皮切りに、浮世絵、琳派、工芸品などを次々に出品していった。面を埋め尽くさんばかりの華美な装飾を美とされていたのに対して、大胆に空間を取り入れた日本美術の手法にヨーロッパの人々は驚いた。

アメリカの経済学者、P.F.ドラッカーは日本美術の根底にあるものは、空間を重視することで、画面における余白が大きな意味を持っているという。西洋が幾何学的、中国が代数的、日本は空間がそれぞれのパーツを区分している、というように琳派は現代のデザインに通じるものがあるのかもしれない。

そして、日本美術の特色は、概念ではなく知覚、写実ではなくデザイン、幾何ではなくトポロジー、分析ではなく統合にあるとドラッカーは言う。絵画の世界では立体感のないデザイン的という言葉が日本人のコンプレックスであったらしい。僕は、なにも幾何学的な黄金分割だけが構図を支配しているのではないということと、この先人達が築いた空間的表現をとても誇りに思う。


日本人のバッドチューニングを雪景色に見つけた。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 16:05 | コメント (16)

氷の首飾り

今年の札幌は暖冬で例年より雪が少なく、
白銀の雪景色を求め、車で恵庭岳方面へ向かった。


DSC_6175.jpg


どこを見ても雪が少なく、車で南下しているうちに恵庭岳麓にある白扇の滝へ辿り着いた。この滝は、恵庭渓谷から流れてくる渓流で、この下流では優美に扇を広げたような姿に見えることから名付けたらしい。

暖冬といっても、極寒の渓流はそこにいるだけで、体の芯から凍えてくる。

渓流の岩肌に積もった雪は氷に変わり、その冷たさがマリー・アントワネットの首飾りのようだった。自然の中で発見した氷のジュエリーは、数億円ものダイヤモンドより美しく見えた。


極寒の中のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 23:11 | コメント (12)

自然のコーディネート

北海道の旅の終わりで、一足先に紅葉を見た。
まだ、青々と茂る雑草の上にハラリと落ちた一枚の葉っぱ。
どうってことない雑草に彩りを添える。


DSCF1322.jpg


寒いところ程、葉っぱは赤みを増すというようなことを聞いたことがあるけれど、まだ、地面が青々としている場所にこんな真っ赤な葉っぱが落ちることは、東京では見られないのではないだろうか?

色彩学的に言えば、緑と赤は補色にあたる。色相色環という理論があって、マンセルシステムを例にとると、時計の12時位に赤があり、6時位に緑がある。まったく、反対側にあるために反対色ともいう。

この緑と赤の配色は、とても難しく、ジャケットが緑でパンツが赤なんてコーディネートしたら、それはもうチンドン屋なんだよね。

ルドルフ・シュタイナーによれば、「緑の広大な牧場をイメージするとそこには何も感情的なものは沸き起こらないけれど、そこに赤い服を来た人が数人歩くと、急に緑は一層飽和し、生き生きとしてくる」と言っている。

マンセルシステムの3時位にあるのが黄色。12時の赤と3時の黄は、比較的近い位置にあり、暖色というグループで括れる。でも、赤と緑は暖色と寒色の組み合わせ。だから、テーマがどちらにあるのか分からず、使い方が難しい。

そんな時は、緑の面積を多くして、赤を少なめにポイントとして使うと、より緑を生き生きとさせるのかもしれない。


高度な配色のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 18:06 | コメント (20)

神々が住む山

地球岬をあとに、車で昭和新山を抜けて、
支笏湖方面へ向かうとホロホロ山が見えてきた。
ここは、白老の山々を司る神、ヌプリコルカムイが住むところ。


DSCF1325.jpg


この神は、日高山脈に住む白熊の姿をした神。別名、レタルカムイ(白い神)とも言うらしい。この響きの良い山名のホロホロは、フクロウの鳴き声によるものと言われている。

この神を見ると途端に突風が吹くが、人間はその風に吹き飛ばされても決して、怪我をすることがないのだそうだ。また、この神は人間の女と恋愛をしたとも伝えられている。

国道453号線を北上していくと右手にこの山が見える。雲がかかって見えなかった山が、だんだんと晴れ渡り、山頂が姿をあらわした。僕は、ヌプリコルカムイを見たのだろうか?この神が、山頂の雲を吹き飛ばしてくれたに違いない。


DSCF1323.jpg


車を止め、降りて、後ろを振り返ると、山の向こう側も雲が遠ざかっていく。僕を中心にモーゼの十戒のように雲がさーっと左右に分かれていった。山々に挟まれて、耳を澄ますと、気のせいかホロホロ〜、ホロホロ〜、と聞こえるような気がする。

東京では、今頃、通勤ラッシュで慌ただしいだろう。時を同じくして、こんなに静かで神聖な場所があるなんて。


これは、時空を超えたバッドチューニングだ。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 23:50 | コメント (6)

小さな森のドラミング

湿原の森に小さな沼があった。
ポロト湖の脇にある、小さな、小さなポント沼から、
木をつつく、キツツキのドラミングが水面に響き渡る。


DSCF1280.jpg


このあたりは、湿原なので枯木が多く、虫もたくさん寄生しており、キツツキにとっても冬の食料貯蔵庫となっているようだ。

ここに生息するキツツキは、アカゲラというらしい。あまり人を恐れず、近くまで来て、トントンしていることもあるという。木々を見るとアカゲラが住んでいたと思われる樹洞がたくさんあり、そのお下がりを他の鳥達がリフォームして使用しているらしい。

それにもしても静かだ。車の騒音も、OA機器のノイズもなく、誰かを恫喝して声を荒げている人もいない。姿は見えないけれど、トントンッ、トントンッ、と木をつつく音が、静かな湖畔にリズミカルに響き渡る。

都会で、勝ち組、負け組などと言っていることが、バカらしくなったりしないだろうか?いや、そういう人達をここへ連れて来ても、きっとこの軽やかなドラミングは聞こえないだろう。そう、心の清らかな人にしか、聞こえないに違いない。

後程、調べたところ、アカゲラは赤、白、黒のコントラストが美しいモダンデザインの配色であった。緑の森の配色には、似つかわしくない、とてもおしゃれな装いだった。


静かな湖畔のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 20:03 | コメント (11)

湖畔で生きる

ポロト湖畔には、鮮やかなマリーゴールドが咲いていた。
北国は10月だというのに、花は満面の笑みを浮かべて、
僕に微笑みかけてくれる。
この花の花言葉は「生きる」だ。


DSCF1256a.jpg


これは、フレンチマリーゴールドという品種のようだ。5月〜10月まで咲く、多年性植物。最初はパリのフランシス王の庭園に入り、各国に流れたということだ。観賞用としてもきれいだが、根に線虫の防虫効果があるということから、作物の間に植えられることもあるらしい。

マリーゴールドの名前の由来は、聖母マリアの祭日に咲いていたため「マリア様の黄金の花」と呼ばれている。マリアのゴールドで、Mary' gold。17世紀ころの絵画によく登場する。

第二次世界大戦中にイギリス空軍パイロットが、偶然ブルーベリーを食べて、視力が良くなったという話は有名だ。その話を聞いた、ある製薬会社がそれを上回る効果をもつものを捜していたところ、マリーゴールドの花びらから抽出されたということだ。

その成分から、暗順応改善薬「アダプチノール」が作られて、現在では目の薬として使用されているそうだ。

それにしてもこんな空気が澄み切った青緑が多い湖畔の風景に、寒々しさを補うかのように鮮やかに咲いている。

仕事でカラーリングを考えている時、まずはテーマカラーの同系色でコーディネートする。それから、スパイスとしてワンポイント、反対色を入れるとそのデザインが急に力強く生き生きと甦る時がある。

一歩、間違うと、目が痛くなる程の強烈なハレーションを引き起こす際どい配色。だから、力強く「生きる」なのか?


自然界で見た配色のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 15:22 | コメント (6)

野菊の湖

父は言った、「野菊だ」と。
僕は、相変わらずそんなところは見ていなかった。
白老のアイヌ部落の近くにある、
ポロト湖という美しい湖に来ていた。


DSCF1260.jpg


クリエイティブに関わっている僕は、若い頃、「ニューヨークだ」、「ロンドンだ」などと言っていた。子供の頃、家族でドライブに行っても心はそこにあらず、作りかけのプラモデルのことやビートルズのレコードジャケットのデザインは誰が手がけたかを心配していたものだ。

「いつかは、ビッグになってやる。親父みたいなサラリーマンになんかなるものか」と親の苦労も知らず、思ったものだ。しかし、そんな生意気な小僧は、いつしか大人になり、野菊の美しさに感動するどころか、側にいた父の「野菊だ」という感受性に驚愕した。


DSCF1267.jpg


僕は、その言葉に反応して、デジカメを野菊に近づけて、できるだけクローズアップにして撮った。肉眼で見るとただの雑草にしか見えない、小さな、小さな野菊。

この風景の主役は、あくまでもポロト湖。確かに美しい。それを横目にこの野菊は、北国の秋を迎えても、いじらしいくらい逞しく風に揺られて咲いている。


DSCF1277.jpg


そういえば、中学の時、読んだ「野菊の墓」は、たしかこんなだったと思う。主人公は、年上の恋人に『ここに野菊が』というが、彼女は足を止めず、すたすた先へ行ってしまう。

それは、幸が薄い恋人が先に死んでしまって、追憶をしているシーンであった。さらに思う。『彼女は野菊のような人であった。そして、田舎風ではあったが、けっして粗野ではなかった。可憐で優しく品格もあった。厭味もなく、どう見ても野菊のようだ。』と...


いまだ、父の感受性を超えていない、我がまま息子のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 23:49 | コメント (10)

陽のあたらない風景

小樽の観光スポットからしばらく歩いてみた。
オルゴール堂や北一硝子から、ちょっと離れた路地裏だ。
そこは、人通りもなくひっそりと静まりかえっている。


06_A4.jpg


裏通りを歩いていて左の空き地に目をやると、そこはレンタカーショップの車置き場の空き地だった。レンタカーショップといっても、小樽ならではの古びた石造りの建物で風情を生かしたまま営業している。

ドアにレンタカーと小さく、プレートが貼り付いていたけれど、東京のように看板が大きくあるわけでもなく、のぼりも立っているわけでもない。ひっそりしていて、もしかして北海道は景気が悪くて、潰れてしまったのでは?と思うほどだ。

遠くから窓を覗くと、裸電球が煌々と光っていて、どうやら営業しているようだ。中の人々は忙しそうに電話の応対に追われている。僕は、そのレンタカー置き場のスペースを無断で借りて三脚を立て、隣の古い廃墟と化した建物を無心で撮影した。

ぼーっと、その壁を見つめていると時間が経つのもすっかり忘れ、陽が沈みかけてきた。この時間帯が写真では色味が青白く映り、ただの壁もひと味違った情景になる。

気のせいかもしれないが、じっと、ファインダーを覗いて陽が沈みかけていく瞬間を待っている間、遠くの方からニシン漁で活気を帯びた海の男達の声が、時を超えて聞こえてくる。

いつの間にか、ただの廃墟と思っていた古びた壁が、何か独特の表情を帯びてきた。時計を見ると30分近く、古壁を見つめていた。


時を超えた壁のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 13:41 | コメント (6)

おるごーる工房

小樽オルゴール堂、1号館の脇におるごーる工房という建物があった。
中では、数人の人達が手作りでオルゴールを作っていた。


DSCF1216.jpg


それにしてもこの建物、一体、もとは何だったのだろう?倉庫としては、大きくはない。ただの民家だったのか?

小さな、小さな工房。オーバーオールのジーンズに工具を持って、ひたすらオルゴールを組み立てている姿がとても似合っている。まるで、ピノキオのゼペット爺さんのように。

オルゴールは、1796年スイスで誕生したそうだ。時計職人のアントワーヌ・ファーブルが小さな懐中時計に演奏装置を組み込む為に考え出したようだ。

そいえば、映画、「夕日のガンマン」で懐中時計の蓋を開けるとオルゴールが鳴り、それが鳴りやむと決闘の合図で、目にも止まらぬ早業で銃を抜き取って撃ち合うというシーンがあった。

その賞金稼ぎの殺し屋ガンマンが手にする懐中時計の裏蓋には、愛する人の写真があり、物悲しいメロディーを奏でて、殺し屋の性を感じさせる。

オルゴールは、懐中時計から一躍、ヨーロッパの貴族を中心として、職人達が顧客を得て一大産業を生み出したようだ。


どこか、物悲しさを感じるバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 12:59 | コメント (5)

フェアグランド・オルガン

小樽オルゴール堂で見た、
大きなアンティークのオルガン。
1895年〜1930年頃、ベルギーで使われていたらしい。


DSCF1207.jpg


とても大きな音が出るオルガンで、メリーゴーランド、カーニバル、サーカス、スケートリンク、遊園地といった娯楽施設で用いられることが多かったことから、フェアグランド・オルガンと呼ばれていたそうだ。

この大きくて装飾的なオルガンは、電動のエアコンプレッサーによる空気とブック式の楽譜で、木製パイプを鳴らす。フェアグランド・オルガンは、自動演奏楽器の中では古い歴史を持ち、1700年前半から作られていた。

このオルガンの前にいる、おにいさん、とても上品で凛々しいではありませんか?100年もの間、このオルガンの見張り番をしてきたようだ。ずっと、歳もとらずに背筋を伸ばして、シャッキとした姿勢は見習わなくてはならない。ちょっと、ファッションセンスとヘアスタイルは時代遅れだけど。

メリーゴーランド、カーニバル、サーカス、スケートリンクと聞くと、その言葉の響きにときめいて、今でも異次元の情景を喚起してくれる。日常では味わえない、雰囲気。そこには、子供のころ味わった、お伽の世界があるのかもしれない。

そんな異次元空間で演奏されるオルガンはどんなだったろう?カーニバルやサーカスが繰り広げられる、賑やかな喧噪の中で、誰が聞いているのかも分からないのに永遠と演奏し続ける、自動演奏オルガン。

それにしてもこのフェアグランド・オルガン、全体の大きさはアップライトピアノくらいの大きさはある。今のような電動工具がなかったと思うが、精巧さには驚かされる。ハイテク時代にはない味わい深さ。


時代を超えた工芸品のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 11:07 | コメント (10)

小樽オルゴール堂

3連休は、実家のある札幌へ行った。
久々に小樽へ行ってみた。
アイヌ語でオタルナイ(砂浜の中の川)と呼んでいたらしい。
そんなことも知らず、子供のころは、
小樽の銭函という海水浴場へよく行ったものだ。


DSCF1187.jpg


まずは、小樽オルゴール堂へ。明治45年建造で北海道一の精米会社「共成」の社屋だったそうだ。これはルネッサンス様式を取り入れた建築になっている。

ルネッサンス建築とは、フィレンツェで1420年代に始まり、17世紀初頭まで続いた様式のことをいう。この様式は人体比例と音楽調和を宇宙の基本原理とし、ローマ建築を理論づけたものらしい。

そういえば、ローマへ行った時、窓や入口にはアーチが多く、建築を英語でarchitectureというが、もともとは、ラテン語でアーチとテクニックかテクスチャーを合成した言葉だと聞いた。(記憶が定かではないので、誰か教えてください)

だから、日本語の建築とは、語源になる言葉の意味が違うのかもしれない。建築は「建てる」と「築く」と書く。ここが日本と西欧文化の大きな違いのはずなのに、なぜ、言葉の意味を捨ててまで、近代化を急速に進めたのだろう?

小樽繁栄のルーツはニシン漁にあり、小樽の多くの古い建物は倉庫として使われていた。鎖国が解かれて、明治に北海道開拓が本格化すると玄関港として発展する。明治政府の国策として、世界中の舶来文化が怒濤のごとく押し寄せてきた時代でもあった。

そして、戦後、小樽は漁業と共に衰退し、都市が札幌へと移行していった。今、小樽は、かつての繁栄が異国情緒の町並みを醸し出して、見事に復活を遂げた。


古い街並みのバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 10:17 | コメント (4)