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ギター

2012年1月

正月、帰省したとき、実家に置いてあったギターを捨てるように父に言われた。年老いた両親は、息子達が家を出て行ってもう戻って来ないと諦めているのか、家の整理をし始めていた。


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父に2階の僕の部屋に置いてあったギターをゴミの日に出すので、地下の駐車場まで降ろしておいてほしいと言われた。


あれは、中学2年の夏休みだった。春に転校してきた僕は、都会から転校してきてふてぶてしく生意気そうに見えたのか、クラスの悪ぶっているやつらによく絡まれた。今でいうイジメというやつだったのかもしれない。当時、負けず嫌いの僕は、イジメられたという感覚はなかったけれど...。そんなとき、母が長期入院した。父は、新しい地域の業績を伸ばすために送り込まれたビジネス戦士。その頃、ほとんど会話など交わした記憶がない。


祖母は、母の病院へ付きっきり。僕と弟は、親戚の家に預けられた。3つ年上の従兄弟と机を並べて夜は勉強した。勉強に飽きると、従兄弟がギターを教えてくれた。禁じられた遊びのボロボロになった切れっ端の譜面があった。夢中で練習しているうちに病み付きになった。


久々に家に帰ったとき、祖母にギターをねだった。田舎では唯一の楽器屋へ行って、ヤマハの25,000円のギターを買ってもらった。祖母は言った。「あんた、本当にやれるのかい?途中で飽きてしまうじゃないのかい?」僕は、絶対に諦めないとその場で誓った。


うれしくてうれしくて、毎日に毎日練習した。クラスの悪ガキなんか相手にせず、休み時間になるとほかのクラスへ行って、ギター友達をたくさん作った。転校生は、過去の話には加われないけれど、音楽の話、未来の話であればいくらでもできた。音楽好きな仲間は、文学もアートも好きだった。学校から帰ってくると友達を呼び、ギターの練習をした。二人で裏山に登ってギターの練習もした。お互いに技術的に不足しているところは教え合った。そのうち、学校では、合唱部で何人かとギター伴奏をしたり、卒業間近のお別れ会ではギターを披露したり、バンドを組んで市民会館でコンサートを開いたり、お陰ですっかり勉強しなくなってしまったけれど、自分の殻に引き蘢ることもなくなった。


高校生になり将来のことを考える年頃になったとき、父に「大学はどこへ行くつもりか?」と聞かれて、「大学なんか行かない。ギタリストになる」と言ったら、「流しになるつもりか!」とめちゃくちゃ説教された。あれから、38年が経っただろうか?このギターともお別れだ。最後にこっそり夜中に写真を撮って、まじまじとこのギターを眺めた。ギターに付いた、ひとつひとつのキズやシミが、ひとつひとつの情景を思い出す。ありがとう、ギター。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:27 | コメント (6)