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燐光

2009年7月

小樽に近い、祝津という岬で海底をうごめく燐光を見た。


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ある雨の日、日本海の海面を見ていると海底から何かが光り輝き浮上してきたように見えた。雲の隙間から夕陽が海面を照らし出しただけだったけど。


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この光景を見て、ジュール・ヴェルヌの「海底二万里」を思い出した。1870年に発表されたこのSF小説は、現代にも通じる世の中の警鐘とも言える内容だった。「その怪物は大海原に姿を見せた。長い紡錘形のときどき燐光を発するクジラより大きく速い怪物だった」と物語は始まる。その怪物は、燐光を発しながら船舶に近づいてきて船体を真っ二つに切り裂くのである。


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これが、反逆者ネモ船長が指揮する、潜水艦ノーチラス号である。ネモ船長は、地上の生活に背を向け、地上の人間に対する復讐の念に燃えて海底を世界中旅する。人間社会と人間の創り出した文明に対する深い不信感によって、自らの部下と娘を引き連れて、理想の海底都市アトランティスへと向う。


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現代なら、「太陽光発電による充電のため、海面近くに浮上した」と書けるかもしれない。ノーチラス号は充電が終わると、どす黒い雲がさっと明るくなり、燐光は海底へと消えていった。


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そんなことを夢想しているうちにいつの間にか雨はあがり、優しい光が雲の隙間から海面を照らし出していた。

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投稿者 hidetoshi shinohara : 20:13 | コメント (4)

素描No.004

2009年7月

何事もなく日常が過ぎ去っていく。


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五木田さんの死から、2週間以上が経った。彼が、生と死の狭間を彷徨っていたとき、何かに突き動かされるように僕はこんな寂れた絵を描いていた。理由はわからない。休みの日になると自室に籠って机に向い、ステッドラーの鉛筆をカッターで削る。まるで、硯に墨を摩るように。絵を描き始める前の鉛筆を削るという短い時間が、心を落ち着かせ精神を集中させてくれる。


無意識のうちに生と死を意識していたのかもしれない。そういえば、五木田さんのお通夜から帰って来た日、深夜、寝ているとベッドの脇に誰かが立っている気配がした。僕は、霊感が強いわけでもないけれど、こんな体験は初めてだった。


お通夜から帰って来た時、僕は葬儀場からもらった「清め塩」を使わなかった。仏教では「清め塩」を排除しようという方向へ進んでいると聞く。死者を汚れたものとして塩で追い払うなんてことは僕にはできない。もしも、五木田さんがぼくの自宅まで付いて来たならそれでもいいと思った。


そんなことを思っていたので、本当に訪ねて来てくれたのかもしれない。『お見舞いに行く』と言っていて行かなかったのだから、『なんで、来なかったんだ?』と怨んで出て来ても何も言い返せない。『ごめん!』としか言えない。自分のことに浮かれていたのだから。でも、なぜかその感覚が恐くもなく、懐かしい感じがした。


今回の窓の絵は、潜在意識の中でそういうものが作用して表れてきたのだろうか?見る人によっては、暗くて嫌悪感を感じるかもしれない。今回、自分の誕生日で浮かれていたのに、家ではこんな絵を描いていたことがなんだか偶然ではないような気がした。喜びの裏には、悲しみがある。やはり、全ての偶然は必然なのだろうか?



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投稿者 hidetoshi shinohara : 10:21 | コメント (8)

お別れ

2009年7月

6月29日、友人でフォトグラファーの五木田和彦氏が亡くなった。


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やっと、心の整理がついた。訃報の知らせが来た時は、本当に驚いた。僕達は、ある出会いから仕事を通じて急激に親しくなった。仕事でもプライベートでも多くのことを語り合った。一昨年、五木田さんが銀座で個展をやったときには、オープニングにスピーチを頼まれた。個展のための作品づくりにも同行した。その時、同じロケーションにいて、同じランクのカメラを使用して撮影したにも拘らず、あとで写真を見せ合った時にはまったく違ったものが出来上がっていたのには驚いた。


僕がいつも写真のテーマにしていることは、見慣れた風景の中に美を発見することである。二人は五木田さんの故郷でもある千葉の田園風景へ車を走らせた。男二人が、無言で各自違う方向を見てシャッターを切っている姿は奇妙に映ったかもしれない。実は、「風景写真は、早朝か夕方」といつも僕が言っている言葉は、五木田さんから教わった。


そんなことが何年か続いて、今年の5月下旬、久しぶりに電話があった。「篠原さん、元気?」という声が苦しそうだった。「五木田さん、調子悪そうだけど大丈夫?」「実は、手術をして終わったばかりなんだ。今はもう大丈夫」そんなやりとりをして、僕は「お見舞いに行くよ」と言ったら「いいよ、いいよ。遠いからいいよ」と彼は言った。とりあえず、病院名を聞いてナビを頼りに行くことにした。


「それよりも篠原さん、最近、車乗ってる?」と車好きの彼は言った。「いや、あまり乗っていないんだ。だからドライブがてらにお見舞いに行くよ」「実は、兄貴がマセラッティを買ったんだ」とうれしいそうに言った。お兄さんは著名な音楽プロデューサー。「じゃあ、マセラッティに乗せてもらうことを楽しみに早くよくならなくちゃ。その時は、一緒に乗せてよ」と僕は励ましの言葉のつもりで言った。「うん、また写真撮りにドライブへ行こう」と言ったのが彼の最後の言葉だった。


それから、6月に入り、僕は自分の誕生日をお祝いしてくれることに浮かれていた。正直、五木田さんのことなんか頭の隅に追いやっていたのだと思う。でも、どこかで、お見舞いに行かなくてはと思いつつ、6月の下旬になってしまった。『そろそろ、お見舞いに行かなくては。もう、退院したかな?』などと思っている時に訃報の知らせが届いた。


お通夜で集まった人達に聞いたら、手術後、親しい人に電話をかけまくっていたみたいだ。自分で何かを察してお別れをしたかったのだろうか?きっと、寂しかったんだよね。五木田さんのお母さんとお話したら、ちょうど僕の誕生日くらいに容態が悪くなって意識がなくなったと聞いた。


本当は、ドクターストップがかかっていてハードなフォトグラファーの仕事はしてはいけなかったようだ。それでも自分のやりたかったことを貫いた姿勢は立派だった。次の個展の構想もあったのに志半ばにして、無念の死だった。元気に生きているのに好きな仕事をやって愚痴ってはいけないと思った。写真を通じて、感動を与えてくれてありがとう!五木田さんのような表現はできないかもしれないけど、表現者としての考え方はしっかりと受け継いだよ。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 13:19 | コメント (4)