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素描No.003

2009年5月

白い紙に鉛筆をシャカシャカ、カツカツ走らせる。


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何もない画面と向い合った時、いつも不安になる。「描けるのだろうか?」と。完璧でなくてもいいから、ある程度は満足のいくものでいい。


今回は、北国で見つけたサイロの脇にあった納屋の中。子供の頃、札幌市内にもこんな納屋がいっぱいあった。友達の農家の家で学校帰りに牧草に隠れて遊んだ。搾りたての牛乳を飲ませてもらった。給食の牛乳瓶の牛乳に慣れていたので、正直、濃過ぎておいしいとは思わなかった。でも、あれが本物の牛乳だったのである。子供の頃、丸まったあの牧草の奥の方へよじ上った。体中、草だらけになった。


あの丸まった牧草のことをロールベールサイレージというらしい。大きなトラクターで草を刈り取り、トラクターの後ろに牽引するロールベーラーと呼ばれる牧草を丸くするマシンで丸めて吐き出す。これが、なんと1個350kgもあるというのだから驚きだ。子供の頃、こんなところによじ登って、見つかっていたらひどく怒られたに違いない。


無心で鉛筆を走らせていると、子供の頃の情景が頭に浮かんだ。あの納屋のあの辺に隠れたり、奥の方には牧場のおにいさんが仰向けになってタバコを吹かし、煙の環を作ってくれたことを思い出した。


そこは、隠れ家的でとても居心地が良かった。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 18:42 | コメント (16)

儚いモノ

2009年5月

風の赴くままに、周りを見渡してみた。


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錆びれたバス、海の男達に見捨てられたボート、今にも朽ちていきそうな空き缶。こんなモノ達が周りの景色に彩りを添えていた。ずっと、放置されたまま何年も日の目をみないモノ達。僕がここへ来て、しっかりと見つめてあげた。誰にも注目を浴びることもないなんて言わせない。かつては、これらのモノも活躍して輝いていた時もあったに違いない。


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大きなバスは、一度に多くの村人を運んでいたときもあったはずだ。その頃は、颯爽とエンジンの音を轟かせ、車体はぴかぴかで、運転手さんと車掌さんは生き生きとして乗客を乗せ、海岸沿いを走っていたのだろうか。ボートは、海の男達がエンジンをかけると浜辺に押し寄せる高波へ向って、頼もしく沖へと出て行く。この空き缶だって、家族が揃った食卓でぴかぴかに光輝いていた時もあったはずだ。


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僕はしゃがみ込んで、空き缶に尋ねてみた。「ねえ、どうして君はここへ留まっているんだい?」「どうしてって、私はもう年老いてこんな錆びれてしまたったから、どこへもいくところなんかないの?もう、誰も私のことなんか見てくれない」「そんなことないよ。いい感じで年老いてきたじゃないか。この錆びれ方はとても味があると思うよ」僕の言葉は、なんの慰めにもならなかった。空き缶はただ無言だった。そこにあるのは、かつては賑わっていた人々の面影だけ。


なんだか砂の惑星にでもいるような、ふっと風が吹いて跡形もなくなって消えていってしまいそうだった。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 20:24 | コメント (8)

素描No.002

2009年5月

今日もまた鉛筆を削ることから始めた。


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なぜ描くのか?そんなことは理屈では到底理解できない。この衝動は何かと言えば「魂を揺さぶる何かがあるから」と、言ってしまえば聞こえはいいが、ただ単に描くことが楽しいからなのかもしれない。いずれにしろ、北国の荒涼とした風景に衝撃を受けたことは確かだ。


写真を仕上げていくのもいい。でも、写真では全てが写り込み、リアル過ぎてただなんとなく見過ごしてしまうような気がした。鉛筆だけの素描だと対象が浮かび上がってきて感情移入できる。「描くことは見ることである」と何度も自分に言い聞かせて。


今回描いた廃墟は、石狩湾沿いにある望来から厚田へ行く途中にあった。もう、誰も住んでいない牧場跡の一軒家。中を覗くと、ガラス窓は割れ天井は剥がれ落ち、荒れ放題の状態で野ざらしになっていた。


ここで、生活を営んでいた人達はどんな人だったんだろう。玄関先には、柴犬が吠えているような気がした。子供達が犬と一緒に走り回っている。家族が増えたのであろうか?左側の平屋の部分は増築されて継ぎ接ぎが残っている。


この家の手前は、北国の海。冬はブリザードが吹き付けて、厳しい生活を強いられているに違いない。鉛筆を画面に走らせていると、白い紙から段々と形が浮かび上がってくる。いろいろな物語を考えて夢中で描いていた。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 16:51 | コメント (18)

素描No.001

2009年5月

北国の荒涼とした風景が頭から離れない。


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僕は、写真だけでは飽き足らず、休日の朝から鉛筆を握りしめていた。久々に沸き起こった、描くという作業。使い慣れたステッドラーの鉛筆を削ることから始めた。写真に満足できず、じっくりとディテールを観察してみることにした。


写真家でもないのにシャッターを押せば撮れてしまう。とまでは言わないが、それに近いことが素人にもできるようになった。そんな安易な気持ちで写真を撮った気になっている自分が許せない。もっともっと突き詰めなくては。この一枚の絵を完成させるには、ドラマチックに演出する光の加減が重要だ。「今度ここを訪れる時は、日の出か夕方だ」と心に誓った。


このサイロの向こう側が東なので、朝日が昇ると建物が逆光になる。それもいいかもしれないが、まずは夕方の順行で撮影するプランを立てる。きっと、夕日に染まった茜色の空が、この朽ちかけた窓ガラスに彩りを添えるに違いない。


写真を見ながら、ひとつひとつを描き込んでいくと、崩壊が始まった最初はどこから崩れていったのだろう?などと考えてしまう。人々がここの土地に住んでいれば、少しずつ修復しているはずなのに。やはり、人のいない建物は朽ちていくものなのだろうか?建物は、まるで生き物のようだ。


あらためて、「描く」という行為は「見る」ということでもあることに気がついた。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 15:42 | コメント (4)

クリスティーナの世界を求めて

2009年5月

石狩湾沿いを北上すると、左手に日本海、右手に荒涼とした丘陵地帯が見えた。
水色の潮風は、僕をクリスティーナの世界へと誘う。


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この旅は、アンドリュー・ワイエスの幻影を探し求めた旅でもある。多くの人は、この荒涼とした廃墟を嫌う。何か寂れた、もの悲しさを誘うからであろうか?僕は、なぜ、ワイエスがこのような荒涼とした世界を描き続けたのか考えた。


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昨年、アンドリュー・ワイエス展を見た時、どこか北海道の懐かしい原風景を思い出した。アメリカと日本の違いはあるけれど、いつかこの枯れた風景に共通点を見出そうと思った。


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ワイエスは22才の時、メーン州の海辺の小さな村にある、古い大きな木造の一軒家を訪れた。そこには、二人きりで住んでいたオルソン家のクリスティーナとアルヴァロンという姉弟が、寄り添いながら与えられた生を淡々と生きていた。その姿に共感を抱いたワイエスは、以後深い友情のもと姉弟が亡くなるまで親しく交流したという。そして、夏が来るたびにこの家を繰り返し訪れ、30年間に渡り描き続けた。


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クリスティーナの世界は、手足の不自由な女性が自力で丘を這い上がって、前へ進もうとしている生命力を感じさせる1枚の絵である。人里離れた、殺風景なところにワイエスは何を感じ、どんなインスピレーションにより絵を仕上げていったのだろう?


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僕は、そんなことを考えながら、この廃墟と化した土地を眺めた。耳を澄ますと、牧場で淡々と働く人々の風切音が聞こえてくる。ワイエスは、廃墟を描こうとしたのではなく人々の面影を描こうとしたのだ。


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この土地を訪れて、自然の厳しさと生命の力強さを感じた。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 10:28 | コメント (2)

風にふかれるままに

2009年5月

30年ぶりに故郷を訪ねてみようと思った。


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北国の風は、まだ冷たかった。その風は、石狩湾の潮の流れに乗って、水色に空を染めていた。僕は、その水色の風に導かれて北上の旅に出た。


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昨年、フォトグラファーのT氏とアンドリュー・ワイエス展で盛り上がった。その絵は、お互い雪国で育って共感できるものがあった。どこか、乾いて寒々しい寂れた大地。僕は、北海道のどこかでこのような光景を見たことがあるような気がした。『もう、何十年も遠い過去だから、こんな風景は残っていないかもしれない』と思いつつ、どこかで期待を寄せた。


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札幌から、石狩湾沿いを車で走らせ、「アンドリュー・ワイエスはどこだ」とつぶやいていた。しばらく行くと、昔懐かしいサイロを見つけた。枯れ草に今にも崩れ落ちそうな廃屋。つい数日まで、大都会で暮らしていたのが嘘のようだ。あまりにも日常で都会を都会と思わなくなっていた今、このような光景を見ると改めて、都市の力強さを感じる。


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僕が求めていた、アンドリュー・ワイエスの世界がここにあった。時を超え、朽ちていく物の中に、そこに賑わいがあったのだろうか?目をつぶると、もう誰も住んでいない一軒の家に、子供達の声、晩ご飯の支度をしている炊事の音、犬の鳴き声、海岸から吹き付ける、ピュ〜、ピュ〜とうなり声が聞こえる。


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僕は、シャッターを切るたびにため息が出た。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:22 | コメント (2)