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大倉山シャンツェ

2009年1月

1972年、冬季オリンピック札幌大会、90m級ジャンプの競技場へ行ってみた。


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当時、僕はまだ小学5、6年生くらいだった。札幌オリンピックで70m級ジャンプと90m級ジャンプに日本中が沸いた。北海道から出たことがなかったので、地元だけ盛り上がっていたのかどうか、実際にはそこのところはわからない。


70m級ジャンプでは、笠谷、金野、青地の3選手が金、銀、銅を独占。前年のプレオリンピックでは日本人選手など話題にものぼっていなかったから、あのときは日本中が熱狂した。この快挙以来、家では押し入れの中段から笠谷選手のクラウチングポーズを取って、シュワッと踏み切り、空中飛行をして敷き詰めたマットレスの上へ飛び降りる遊びに何度も熱中した。


70m級ジャンプの活躍に90m級もやってくれるだろうと思っていたけれど、残念ながら記録は振るわなかった。笠谷選手のスタート時に風が安定しなく、ゴーサインがなかなか出なかったのだ。テレビで見ていても笠谷選手のいらいらが頂点に達しているのがわかった。国民の期待を一身に背負って。スタートを切ったときにはもうすでに集中力が途切れていたように見えた。


オリンピックが終わって、各競技場が一般市民に解放されたので、真駒内アイスアリーナ、美香保スケートリンクでスケートをした。ジャンプ台も見たくて、70m級の宮の森ジャンプ競技場は一般公開されていたので行った。当時はスタートラインまで立つことができた。なぜか、90m級大倉山シャンツェは立ち入り禁止で下から見上げることしかできなかった。


今回、同級生に連れて行ってもらい、観光名所になった大倉山シャンツェを初めてのぼって見下ろしてみると、あの下に見える観客席から歓声が聞こえてくるようだった。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 16:29 | コメント (10)

もうひとつのルーツ

2009年1月

小学校の頃、6年間を札幌で過ごした。


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なぜか、今になって小学校を訪ねてみたくなった。僕が通っていた和光小学校を同級生に連れられて訪ねてみた。

あの頃、60年代後半、高度成長期で札幌も活気づいていた。まだ、札幌市内にも牧場があり、同級生の友達にも農家の子がたくさんいた。あちらこちらにサイロもあった。学校帰りに搾りたての牛乳を飲ませてもらった。


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僕が住んでいたところは、北30条西3丁目。まだ、舗装道路もなく交通手段は路面電車だった。砂利道に馬車なんか通っていて馬糞なんかも落ちていた。
下水道も整備されていなくて、沿道には大きなドブがあった。


ある時、犬の散歩で自転車を乗っていたら、急に走り出した犬に引っ張られ、よたよたしてしまってそのまま頭からドブに落ちた。泣きながら家に帰ったら、おふくろに外に放り出されて、ホースで水をかけられた。


それが、札幌オリンピックの開催が決まった数年前から激変した。地下鉄工事に舗装道路。札幌と小樽を結ぶ札樽バイパスの工事が始まった。開通前のだだっ広いアスファルトの道路をみんなで自転車に乗って競争した。


モノクロの写真は、30年以上も前に撮影した札幌の写真。
どこか記憶がないけれど、僕の住んでいたところにもこんなサイロがあった。
小学校はもっと巨大に感じたけど、意外と小さかった。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 15:41 | コメント (12)

先輩後輩

2009年1月

ITの誕生祝いにピンクの薔薇の花束をプレゼントした。それは、いつもしごかれている後輩が全てケーキから、花束まで用意してくれた。そのピンクの薔薇はすごくきれいだった。


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僕は、あまり体育界系の先輩後輩は好きじゃない。でも、ITに言わせると、僕のこと、最初、すっごい怖かったらしい。


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「えーーー、こんなに優しいじゃん!ほら?」と満面の笑みで微笑み返してあげたら、「きもっ!」と言われた。


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その後輩のTは、いつも先輩に怒られ、僕の方がハラハラしてしまう。何もそこまでしなくてもと思うのだが、「私の時は、厳しかったくせに...」と言うような目つきをされると、ちょっと心当たりもなくはない。それは、僕自身がまだ若かったからだよ。この業界を征服することで頭がいっぱいで、いつもいらいらしていた。ITのもっと前のスタッフには、「首だーーーー!明日から、来なくていいーーー!」などと叫んで、さらに別な先輩が「私の顔に免じて許してやってください」と言うので、「じゃあ、許す!」ということもあった。


やれやれ、自分で書いてて恥ずかしくなってくる。今では、すっかり反省して我慢という言葉を覚えた。カーネギーの「人を動かす」という本も読んだ。僕は僕なりに、悩んだものだ。


その中で、Tは美意識が強く持って生まれた才能はあるのだが、実務がまだ経験不足でしごかれている。いつもは、しょぼくれていることもあるけれど、今日は笑顔でいてくれたので、その素敵な笑顔を写真に撮ってあげることにした。デザインセンスは、天性のものを持っているので、彼女にはいつも驚かされる。きっと、将来、優秀なデザイナーになると思うよ。今は、我慢の時だ。面接の時は、見ず知らずの人間同士が出会って、こうやって苦労を共にしているのだから、これからは笑顔で仕事しようよ。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 17:30 | コメント (0)

お誕生会

2009年1月

会社設立以来、スタッフの誕生日にはどんなに忙しくてもケーキを買ってお祝いをすることにしている。今日は、ITの誕生日。先輩後輩とかいう関係は、あまり好きではないが、後輩が日々お世話になっている先輩のために精一杯お祝いをしている姿は、微笑ましい。


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誰でもそうであるが、生んでくれた親に感謝を込めて、またその先の御先祖様にも感謝を込めてお祝いしよう。みんなのお陰で仕事がこなせていることに感謝、感謝。


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当社は、できるだけ年齢を超え、性別を超え、立場を超え、ボーダーレスの雰囲気を作ってきたつもり。歴代スタッフの中には、家族的すぎて会社らしくないという人もいたけれど、では会社らしさとは何だろう?上司がいて、部下がいて、各部署があり、経理があり、総務があり、営業部があり、重役室なるものがあることだろうか?


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クリエイティブな仕事しているのだから、常識を疑ってみることも大切だとおもうのだけれど。大きな組織であれば、そのような役割を明確にしていかなければうまくいかないかもしれないが、零細企業はもっと風通しの良いものにしなければならない。


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そのなことを真面目に考えているのに、三角帽を被せられて、写真を撮られしまった。今日は、もういいっか!店仕舞い!



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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:55 | コメント (0)

札幌から新年

2009年1月

みなさま、新年明けましておめでとうございます。


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僕は、札幌で新年を迎えました。
なんだか東京タワーに似ているけれど、
これは、札幌のテレビ塔というものです。


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大通り公園の夜景も撮ってみました。
取り急ぎ、新年のご挨拶を申し上げます。

本年も宜しく、お願いいたします。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:53 | コメント (20)