<< 2015年8月             1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31          

表情のある窓

2006年9月

木枠の白い窓がいい。この窓は、絵に描いたような窓のデザインだ。
子供の頃、画用紙にクレヨンで家の絵を描いたら、
窓は必ず四角くクロス状にバッテンを入れたものだ。
こんな小さな窓を久方振りに見た。
心のどこかにしまっておいた理想の窓。僕の心のふるさとだ。


DSCF1000a.jpg


こんな窓が、日本のどこにあろうか?この窓は、家の外の世界を四季折々にトリミングしてくれるフォトフレームのようである。いつから、日本は家の中に絵を飾る習慣がなくなったのだろうか?機能的合理主義のサッシは、確かに木枠の窓のようにきしみもなければ、開け閉めに苦労することもない。

しかし、その苦労が良いのではないか?あまりにも便利になりすぎて少しくらい、人間が窓に力を貸して上げてもいいではないか?自分達の日常に追われて、自分達のことだけしか考えていない現代人。少しは、窓の気持ちになってみよう。

「おれが四季の風景を楽しませてやってる」とか、「私がいなければ、家の中に風だって入ってこないのよ」なんて、この窓は恩着せがましいことも言わない。おとなしくじっとしているのだ。きっと、冬は隙間風で寒いかもしれない。それが冬というものだ。そんな時は、少々かっこ悪いが、おばあちゃんが編んだ紫のラメ入り毛糸のパンツを履けばいい。

この窓は、老子の言葉を守っている。「愛すること」「あまり欲張らないこと」「人の先に立とうとしないで、自分のペースで生きること」老子は、これを「三つの宝」と言っているそうだ。どうだい?えーっ?人間のみなさん?少しは見習ったらどうだい?


ココロの窓のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 10:15 | コメント (8)

薪ストーブのある家

2006年9月

ふたたび、フィンランドのホンカという家の話。
けっして、ホンカのまわし者ではありません。
北海道で育った僕は、なぜか北欧の家の作りがどこか懐かしさを感じるのである。


DSCF1014a.jpg


すっかり、肌寒くなり秋めいてきた今日この頃、僕の心は寂しさで一杯だ。秋が嫌いだ。なぜかって?あんなに梅雨明けが待ち遠しくて、やっと夏が来て、「あちーっ!」と言いながら、燦々たる太陽の陽を浴びている方が幸せを感じるからだ。

秋が嫌いと言っても好きかもしれない。どっちなんだ。つまり、こういうことだ。秋という情景は好きなのだが、秋が来ると冬が来て、『今年が終わる』という1年の後半が猛烈に過ぎ去っていくスピードが嫌いなのかもしれない。秋が来ると今年1年、まだまだやり残したことがあり、焦って恐れおののくのかもしれない。

僕は、年の初めに毎年予言する。「今年は、もう終わる」と。その予言が9月になり、10月になると予言通り刻々と近づいてくるのである。恐怖の秋。特に今日みたいに雨がぱらぱら降っていると、寂しさと恐怖で心臓がきゅーっと縮こまってしまう。まるで世紀末のように。

1年の後半が短すぎる。真夏が8月じゃなくて、1年のセンターの6月だといいんだけど。7月に台風が来て、8月に秋が来る。9月からじっくりと冬に突入していくと後半がたっぷりあり、安心する。

子供の頃、北海道は9月の後半に入るとストーブに火を灯した。今でこそ、東京と変わらず新建材を使用して、セントラルヒーティングで暖房が完備されているが、当時は薪ストーブ。

外は寒いが、家に帰ってくると薪ストーブの煌々と燃える火を見つめながら、大きなマグカップに入ったホットミルクを両手で抱えて飲み、お袋が作ったオーブンで焼きたてのクッキーを口一杯に頬張る。それが、秋から冬支度に入る北国の情景。

薪ストーブの火を見つめていると時が経つのを忘れる。傍らで、おばあちゃんは僕のために毛糸の手袋を編んでいる。しかも丁寧に片方の手袋を無くさないために毛糸の紐で糸電話のように繋げておいてくれる。

東京は、空調が完備されていて家の中にいると暑いのか寒いのかも分からない。ホンカの住宅展示場にいて、薪ストーブを見つめているとそんな子供時代の秋の情景を思い出す。フィンランドの人々も同じ地球のどこかで、同じような北国の家族の光景があるのだろうか?と思いを馳せる。


嫌いだけど好きな秋のバッドチューニング。

みなさんのコメントをお待ちしております。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 12:44 | コメント (0)

フィンランドのホンカという家

2006年9月

先週、山中湖でフィンランドの住宅メーカー、ホンカの住宅展示会を見て来た。
ログハウス調と聞いていたので、80年代に流行ったペンションやキコリのイメージがあり、あまり好みではないのではないかと期待もせずに行った。


DSCF0988a.jpg


好みじゃないのになぜ、行ったかって?そりゃあ〜、フィンランドが好きだからだぜ、ダンナ〜。北海道出身の僕は、30年もの間、地方出身者の田舎臭さを拭いさるために何かと都会ぶっていたものだ。

自分にキャッチフレーズをつけるなら、「アーバンで銀座でシャープでクールでダンディで時代を駆け抜ける男」というところかな。ところが、この年齢になると粋がって都会ぶっていることが、カッコ悪いと思うようになってきた。

ホンカという住宅メーカーがこだわっているのは、ポーラーパインという北極に近い松の木を使っているのが特徴。最初、見た目はカントリー調だったので、僕のタイプじゃないと思っていたけれど、しばらく家の中にいると心地良くなってくる。

そういえば、森林浴をすれば、木からフィトンチッドという芳香成分が出ていて、その香りが脳に伝達されて心がゆったりと和らいでいくというのを本で読んだことがある。その証拠にキコリが都会へ出て来てしばらく生活したところ、原因不明の頭痛に見舞われ不眠症になったという話もある。そのキコリは、森へ帰ったところたちまち頭痛が治ってしまったそうだ。

都会のコンクリートジャングルで、ストレスが溜まってイライラしている人は、週末に森へ行って森林浴を行うと気分が晴れるというのだ。

また、木は木材になっても生き続け呼吸している。湿度が高くなると湿気を吸収し、湿度が低くなると水分を放出するそうだ。カビやダニ、結露の発生をおさえ、断熱性能を発揮し、夏は涼しく冬は暖かい。

木は、火災に弱いイメージがあるが、木の表面が燃えて炭素の層を作ることで耐火性を発揮するらしい。新建材のような、燃焼による有毒ガスの発生はないということだ。耐久性に関してもフィンランドでは、400年以上も生き続けている家もあるらしい。日本では、この家と類似構造を持つ正倉院は、1000年以上の時を経ても健在である。

僕は、ホンカという住宅メーカーのまわし者でも仕事でも何の関わりもないが、だんだんこの展示場にいると木の香りと雰囲気がとても心地良くなってきた。フィンランド好きの僕は、こんな仕事に関わってみたいと思った。


ちょっと、カントリー調の心地良いバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 00:48 | コメント (6)

地方のコーポレートブランド

2006年9月

週末、仕事で米子へ行った。ある健康食品メーカーのC.I.を手がけることになったために2日間にかけてリサーチしてきた。初めて訪れた米子市の印象は、日本海と大山に囲まれた人口約15万人の都市。主な特産物は、鯖、紅ズワイガニ、岩ガキ、カレイなどの魚介や果物では20世紀梨が有名だそうだ。水木しげるでもゆかりの深いところ。


DSCF0949a.jpg


夜は、会長、社長、社員の方とフレンチ風、創作料理レストランで御馳走になった。そこで食べた鯖や岩ガキのおいしいこと。ほっぺたがとろ〜りとろける味と、何とも言えない歯ごたえだった。

2日間に渡って、社員の方達のグループインタビューと、会長、社長、取引先の個別インタビューを行った。僕は、大手企業から、中小企業までいろいろお付き合いしてきたが、大手企業の社長とはお目にかかることはまずないが、中小企業の社長さんとは、必ずと言っていい程、我々クリエーターと自ら打ち合わせをしていただける。で、ほとんどの場合、僕の事務所へ何度も訪れる。僕も必ず、そこの企業を訪ねて、企業の隅々まで案内してもらう。

それが地方であろうと海外であろうと許される限り、現場を見て、聞いて、感じるというのが僕の仕事の流儀だ。そして、経営者の方達は退席していただいて、現場の声を聞く。多くの場合、経営者と現場の意見が食い違う場合が多い。そこの問題点こそが大事な要素となり解決の鍵となる。そのためにC.I.すなわちコーポレートアイデンティティーが必要なのだと思う。

C.I.とは、ロゴマークだけを変えることではない。企業スピリットだ。C.I.とは、しゃれたデザインのマークを作ることでない、企業のブランド資産を継承しつつ、未来に向かってより良い方向へ導いていく指針となるものである。都会的でかっこ良さだけが、全てではないのだ。

美にも地域性や土着性というものがある。日本には、世界に誇れる文化がある。地方には地方のアイデンティティーというものがある。そこのところをしっかりと忘れずにしていきたい。この企業は、年々売上が上がっていて、全国展開を行っている。次は、知名度を上げていくことを戦略的に考えているらしい。だからこそ、米子発信全国展開を目指してほしい。

写真は、朝4時半起きで羽田空港のスタバで眠気さましにコーヒーを飲んでいるところ。まだ、目が虚ろでぼーとしている。


地方ブランドのバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 00:47 | コメント (2)

コーディネートを考えない、カーナビデザイン

2006年9月

ある日、突然、ふつうに、さらりと車にカーナビがあったらいいのになあ、と思った。なぜなら、最近、車を変えたから。僕は、車を頻繁に買い替えないで、毎回10年は乗る。いまだにカーナビというものを使ったことがない。いつも、膝の上に地図を乗せて運転しているので、よく道を間違うし、高速では同乗者と話に夢中になっていて、降り損ねることがある。


DSCF0942a.jpg


僕がカーナビを選ぶときのポイントは、機能性なんかよりもデザインを優先して、イルミネーションとか内装とのコーディネートが重要になる。どうして、日本のメーカーは、そういうことを考えないのかなあ。ソニーのデザインがシンプルで一番良かったけど、カーナビを撤退してしまった。

赤のイルミネーション、2DINタイプのデザインで気に入ったものがないのだ。パイオニアサイバーナビは、ブルーのイルミネーション。パナソニックのストラーダは、ちょっと紫がかったブルー。クラリオンは、水色のようなスイッチ。店頭でいかに受けるかとか、最終的な決裁権は奥さんにあるので、奥さんが好みそうなデザインにしているのではと予想される。

日本の場合、親しみやすさと趣味の悪さを勘違いしているような気がする。銀行のキャッシュディスペンサーや、飛行機のシートについているモニターに映し出されるお姉さんのイラストは、同じような制服、同じようなポーズで両手を前に重ねてぺこりと頭を下げる。

イギリスへ行ったときに乗った、ヴァージンアトランティックのモニターのグラフィックは、かっこ良かったなあ。機内の説明や非常時の脱出のアニメーションなどは、UKロックのグラフィックだった。色使いもビビッドでおしゃれだ。

唯一、デザインが気にいったカーナビは、ケンウッド。シンプルで、かっこいい。だけど、店頭では必ず、「録音機能がついていない」とか、「画質が」とか店員さんに言われるけど、「運転中に誰が録音するんだ」と言いたい。画質が良くたって、テレビを見ながら運転したら危険ではないか。それよりも、運転しながら四季の移ろいに感動するとか、もっと楽しむことが一杯あるはず。

日本のメーカーは余計な機能ばかりつけて、消費者に目新しさ訴求しようとする。冷静に考えたら、その機能の半分も使わなかったりするんだけどね。デザイン後進国日本。物が溢れているのに本当に欲しい物がない。優秀なデザイナーは沢山いるのに、それを採用する企業は数字しか追い求めないような気がする。

プロダクト製品のバッドチューニング。


みなさんのコメントをお待ちしております。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 21:14

ジョッドパーブーツ

2006年9月

ブーツを買った。10数年履いて来たお気に入りのスペイン製ジョッドパーブーツがそろそろ草臥れてきたから。何度もソールを修理して履いたけど、甲の部分が割れてきた。


DSC_3719a.jpg


この形は、何年も捜していたけどなかなかなかった。今度、見つけたやつは、今までと同じようにウェスタンブーツと違ってシンプルで派手なステッチは一切入っていない。踝のあたりに巻き付けるようなベルトがなんともしゃれている。ジーンズの時はこれがないと決まらない。価格も手頃。

実は、これがジョッドパーブーツという名前だとは知らなかった。ウェスタンブーツは、カウボーイが履くものだが、ジョッドパーブーツは昔、インドのジョドプール騎兵隊が乗馬に用いたことに由来するらしい。どちらも先が尖っているのは、落馬したときに鞍の靴を引っ掛けるベルトに引っ掛かって、引きずられないようにすり抜けやすくするためだとか。

僕は、気がついたら持っている靴の半分位はブーツ系になってしまった。ブーツといってもショートブーツ。夏でも平気でブーツ。よく、「暑くないか?」と聞かれるけれど、暑くない。足首をきゅっと締め付けてくれる感じが、背筋を伸ばし仕事も遊びも戦闘モードにさせてくれる。歩くと、脳が活性化されて思考能力も高まるそうだ。今年の夏は、仕事の合間にとにかく歩いた。

朝、家を出るとき、ちょっと大変だけど。靴ひもで編み上げ式のショートブーツを履くときは、一苦労だ。靴を履くだけで汗びっしょり。玄関で靴と格闘しているとき、妻に「まだいたの?」って言われちゃうしね。外から帰ってきて、トイレに行きたくなったときなどは、もう足はジタバタ、顔から油汗がタラーリ。

何度もこの世の終わりかと思ったことがある。『ふーっ』と一息ついて玄関に戻っていると、なにがあったのかと思うほど、靴が散らばっている。

ジョッドパーブーツは、履き慣れているしベルトのバックルを外すだけ?と思っていたら、革が固くて外れないっ!外れないっ!外れな〜〜いっ!もう、もう、ダメだ。死ぐ〜ぅっっ!&*@/><”$#%

かっこいいものは、機能性がなかったりするんだよね。
それでも、かっこよさを選ぶ、おしゃれのバッドチューニング。

みなさんのコメントをお待ちしております。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 00:43

エコって、言うなら

2006年9月

近頃、企業はみなエコって叫んでいる。環境に優しいエコって言うけど、環境って下唇噛んでエンヴァイラメントゥじゃないの?エコロジーというのは、生態系のことであって生物とそれらをとりまく環境のことを指すのではないか?と、僕のお腹の中の屁理屈虫が意地悪く、ムクっと起き上がる。

それらを総称してエコって言っているのは分かる。だけど、僕がそんな重箱の隅をつつきたくなるのは、名刺や封筒にエコマークをつけている企業が、リサイクル用紙を使用しないで、印刷会社に『紙は何でもいいからさ、マークだけ入れておいて』なんてことも聞いたことがあるからだ。

たとえリサイクル用紙を使用したことをアピールしても、リサイクル用紙の方が加工の行程が増えるだけ高価なのだ。その加工工程が、薬品を使って、機械のオイルを使って、燃料を使うことが環境破壊なのだ。なんでもコスト削減を最優先にする企業は、リサイクル用紙が高いので、「安い紙でいいからエコのマークだけ入れてくれ」ということになってしまう。

そもそも、エコって言うなら、いろんな工業製品を作らなければいいじゃないか?僕の仕事?そう、環境破壊の最たるものさ。知ってる?印刷機で校正刷りを出すのに何百枚もあっという間に刷り上がってしまって、インクは有害物質を垂れ流す。

クライアントの担当者は、細かい赤字を何度も入れて、さらに大量の紙を無駄に刷り直して我々業者(こう言われるのが一番嫌だ)をいじめる。もっとも被害を受けているのは、印刷会社。マンモス企業は、相見積をかけて料金を叩く。そのくせ校正刷りを何度も何度も出させて、追加料金を払わない。エコって、言えば言うほど嘘に聞こえるのは、僕だけだろうか?

僕はグラフィックデザインを主軸に置いているから、環境破壊をしていることになるんだ。とても心が痛む。だから、エコなんて絶対に奇麗ごとは言わない。広告を作っても『自分のところの商品だけ売れればいいんだ』という企業とは、ほぼ二度目からはお付き合いしない。

環境破壊していることを肝に銘じながら、少しでも人のため、世のためになるように、その商品の先にある、心地良さ….例えば、異次元へ誘う風景….とか、こんな素敵な人と一緒に過ごせたら….とか、日常の喧噪からひと時でも忘れられて楽しめる世界….とかを表現する。

それが、ささやかな社会貢献であると考える。残念だけど、その位のことしか世の中のためにデザインでは貢献できない。だからこそ、印刷物というゴミは生み出したくない。そこに美がなければならないのだ。

マンモス企業の社内のストレスや、下請け業者に対する接し方を改める方が、エコロジーだと思うけど。それだって、生物を取り巻く環境だよ。生物の世界では、弱肉強食は避けられない。命が命へと帰って行くように、尊い生命を無駄にしてはならないのだ。


エコの意味がずれている、バッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 00:02

究極のバッドチューニング、ロキシーミュージック

2006年9月

2006年09月04日
土曜日の夜、ソファに寝そべってパソコンを膝に乗せ、ネットサーフィンをしながらお腹をポリポリ掻いていた時、仕事仲間のコピーライターから、メールが来た。『今晩、BSでロキシーミュージックやりますよ。シノハラさんの好きなブライアンイーノは、いませんけど』『なにーーーーー!これから、寅さんを楽しみに粋で鯔背な江戸っ子ダンディズムモードに入っていたところなのに』と飛び起きた。


DSCF0934.JPG


慌てて、ハードディスクレコーダーのタイマー録画をセッティングした。僕は、心の切り替えが多忙だ。時には寅さん、時にはジェームズボンド、時には、ロケンローラー。常に頭のチャンネルをザッピングしなければならない。

久々に見た。中学か高校の時、夜7時以降は自分の部屋に籠って勉強を義務づけられていた僕は、もっと刺激的な文化があることを知ってしまい、親に隠れて深夜、友人宅へこっそりと抜け出して行ったものだ。その時、友人宅でたまたまイレブンピーエムという番組が流れていて、そこで見たのがロキシーミュージックだった。

今野雄二さんの解説で、海外の音楽だけでなく、ファッション、文化を紹介するコーナーだったと思う。当時は、クイーン、レッドツェッペリン、ピンクフロイド、ディープパープル....今でいう70年代ロックの全盛期だった。番組中、一部のコーナーだったので5分位の時間だったと思うけど、あの強烈な個性は30年以上経った今でも昔の記憶と同じで一瞬にしてタイムスリップしてしまった。

あの当時、ロックと言えばロングのカーリーヘアで(もちろん、違うタイプもいた)胸元が大きく開き、襟が大きく、キラキララメ入りのシャツに膝にパッチの入ったベルボトム。大袈裟なアクションでギターをかき鳴らし、ボーカリストは、マイクスタンドを斜めに抱え絶叫するタイプが多かった。

ところが、ボーカルのブライアンフェリーったら、お尻を突き出し、腰をクネクネ、左腕は、演歌歌手五木ひろしヨロシク、拳を握っているじゃありませんか?しかも、ロングヘア全盛の時期に50年代ハリウッドスターのような七三分け、チョビヒゲに細いネクタイをしたアーミールック。サウンドは、学園際の学生バンドのようで、伸びきったカセットテープのようなふにゃふにゃした音。

ジャケットは、エロ過ぎて日本では修正版が発売。(今では、どうってことないけど)でも、これがかっこいいんだな。時代の先端行き過ぎていたんだよね。当時のロックのような、絶叫型ヘビーサウンドではないクールさ。あの肩を竦めて、虚ろな目で時折上を見上げて、完全にイッテしまっている仕草は、当時のPTAのおばさま達は半狂乱になっただろう。

今、聞いても誰にも似ていない独自の世界観を持っている。ゲテモノロックのロキシーミュージックが好きだと言うのは、ちょっと勇気がいるけど。親にも言えない、ロキシーミュージック。

しかし、オリジナルとは何か?エンターテイメントとは何か?独自性とは何か?を教えてくれたバンドのひとつである。どの時代も先端を行き過ぎているものは、なかなか受け入れられない。

その後、ブライアンフェリーは、ソロになりヒットを飛ばし、ダンディなボーカリストとして市民権を得て大成功を収める。


これが、本物のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 11:48 | コメント (0)

下を向いて歩こうよ♪

2006年9月

美しい映像を生み出すには、外人モデルを使ったり、海外ロケへ行ったり、大掛かりなスタジオセットで莫大にお金をかけなければ作れないのか?そんな疑問が生じたことがあり、ちょっと、なにげに、ふらりと、「日常の見慣れた風景の中に美を発見する」旅に出たことがある。


hibi.jpg


旅と行っても、当社のエレベーターホールを一歩出ただけの車道なんですけどね。ほら、よく一時停止の白いラインがあるじゃないですか?僕は、そこに惹き付けられるようにカメラを三脚に取付けて地面に這いつくばった。

レンズと地面の距離は、3cmくらい。夢中でシャッターを切った。周囲の視線が気になる。その間、5秒。(もっと、時間が経っていたかもしれないが、そのくらいに感じた)僕の背後からは、車が来ていきなり「ブーっ!」とクラクション。僕は海老反りに飛び上がって、命からがらカメラをかかえ、逃げてきた。

後日、現像があがって(この時はブローニーポジで撮影)ルーペで見てみると、今まで見た事もない光景が広がった。見る人によって、これが、美しいとか、かっこいいと思うかどうか、分からない。

アイデアを考える段階で、すぐに有名タレント、巨匠フォトグラファー、海外ロケ、大掛かりなスタジオセット、外人モデルのオーディション...確かに、華やかで自分が業界人で普通の人とは違うという優越感。僕も正直、心のどこかにある。

僕たちは、あまりにも身近すぎて気が付かなかったことに目を向けるべきではないかと思う。そして、優越感よりも普通の人の普通の感覚を持ちつつも、違った視点で物事を捉えられる洞察力こそ大切にしなければならいと思う。

といいつつも、華やかなタレント撮影も大好きな、気持ちが揺らぐ心のバッドチューニング。


みなさんのコメントをお待ちしております。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 00:50 | コメント (4)